40歳での長男出産が転機に
――改めてですが、大分移住を決断した理由を教えてください。
40歳で長男(凛太郎くん)を授かったことが大きな転機でした。お芝居の仕事は楽しかったですし、やりがいもあります。ただ、子どもと向き合ったときに自分の命より大切な存在を守らないといけないという意識が芽生えて。この子は親しか頼れない。食べるものもそうだし、精神的な愛情にしても。東京に住んでいると女優として扱われるから、マネージャーが車で送迎してくれたり、皆さん良くしてくれるじゃないですか。そういう姿を子どもには見せたくなかったんです。周りから女優・財前直見の息子で見られる。私自身も東京にいると仕事のオンとオフの境界線があいまいになってしまう。子どもが構ってほしいのに、台本を読むのに忙しいから向き合えないというのは違うなと。大分ならじいじ(父・紘二さん)、ばあば(母・カツ子さん)がいるし、自然に囲まれて命の大切さ、尊さを知る生活もできる。近所の人も女優の息子という目で見ないので、普通に接してくれますしね。私自身も大分に住むことで、オンとオフのスイッチの切り替えがうまくできるようになりました。ドラマや映画の台本は、東京への移動中や、ホテルで過ごしているときに頭に入れています。でも私が大分に移住することを決断したとき、両親はびっくりしていました。老人ホームを探していたようなので(笑)。本当に、まさか帰ってくるとは思っていなかったみたいです。
――高校を卒業後、東京で芸能活動をしますが、子どものときは大分が好きでしたか?
うーん(笑)。幼いときは大分県内の田舎に行くと、川をせき止めてプールをつくったりして楽しかったけど、思春期になると大分市内で買い物や遊びに行くほうに興味がいきましたね。だから、田舎に行くとなると「ああ、行きたくないなあ」って思ったときもありました(笑)。故郷の本当の良さを知ったのは、子育てを考えて戻ってきてからかもしれませんね。