アベノミクスは三本合わせての経済政策であり、ばらばらにレッテル貼りをして「いいとこ取り」しているかのように述べるのはスジが悪い。また、「異次元の金融緩和」だけでは低迷する経済に活は入れられないという判断は正しいが、石破はここで2番目の矢の「財政出動」を完全に無視している。明らかに意図的な黙殺をした上で、三番目の矢が必要だったと述べる。これは大いに問題有りの論理展開だ。

 国民民主党党首の玉木雄一郎は、自身のYouTubeちゃんねるの『追悼 安倍元総理 思い出をお話します』の回で、「アベノミクスがうまくいかなかったのは、第二の矢が飛ばなかったから。出すべきところにお金を出さないから、潜在成長率を上げるようなイノベーションが起きず、第三の矢も飛ばなかったのだ」(大意)と述べている。素直に考えれば、玉木雄一郎のほうがスジが通っていて、わかりやすく、石破のアベノミクス批判はひねくれて、こじつけめいている。

アベノミクスによって、本当にお金は出回ったのか?

 さらに、石破氏は「金利のつかないお金が大量に市場に出回ったことで、企業が金利負担という資本主義における付加価値創造能力を失い、安きに流れた面があったのではないでしょうか。」と述べているが、これも僕に言わせればあやしい。本当に「金利のつかないお金が大量に市場に出回った」のか。たしかに、金融緩和によって、マネタリーベース(日銀における銀行の当座預金を含めたすべてのマネー)は増えた。しかし、市場に出回るお金、マネーストックはさほど増えていないのではないか。

 なぜか。企業側から見れば、事業プランがなければ、借りた金の使い道がないことがひとつ。また、銀行側から見れば、ゼロ金利や超低金利政策においては、儲けがほとんどない金を貸すことを意味する。つまり貸し出しに旨味はなく、また低金利をいいことに調子にのって借りまくった企業が事業をコケさせることを考えると、貸し出し意欲は低下する。

 さらに、日銀がゼロ金利政策を取りながらも、「窓口指導」と称して、銀行の貸し出しをコントロールしていたという可能性(『誰も書かなかった日本銀行』石井正幸著、にそのような記述がある)も紹介しておく。そんな馬鹿なと僕も思ったが、『日銀 円の王国』(合研パブリッシング)の著者吉田祐二は、このような事態に触れて、「まわりの中小企業経営者に実際に訊いてみると、ゼロ金利政策が実行されたときですら、一般の中小企業は銀行の「貸し渋り」にあっていた」と解説している。とにかく、マネタリーベース(お金の素)は増えたがマネー(市場のお金)はさほど増えず、増えたとしても預金で積み上がっていただけで市中を循環して(つまり出回っては)いなかったと思われる。

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どうすれば3本の矢は飛んだのか?