ショッキングなニュースは見すぎない(写真はイメージ//gettyimages)
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 高齢が及ぼすメンタルの変化に気付くことはないだろうか。かつては十分に耐性があった事件や事故を伝えるニュース。いつのころからか、悲惨な現状やつらい言葉に絶えられなくなってきている。何事もやりすぎず、ほどほど感がいいようだ。エッセイスト中山庸子氏の著書「70歳を越えたらやめたい100のこと」(アスコム)からやめたい一例を紹介する。

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◆ニュース見すぎ  心配性の自分を守る苦肉の策ではあるけれど

 本来の自分が、クヨクヨするのは得意中の得意だから、自分へのアドバイスとして、心配をやめるためのあれこれを考えてみることにしました。

 暮らし全般でニュースの見すぎをやめる、を実行しています。

 フィクションだと分かっているから、殺人事件が起こる推理小説や(以前ほどは観ないけれど)ドラマもそれなりに楽しめますが、実際の悲劇には打ちのめされるばかりです。

 私の場合は、ショッキングな映像もそうですが、耳から入ってくる「つらい言葉」が本当にダメで、それが年を重ねるごとにダメレベルが上がっている感じ。

 例えば、アナウンサーが「火事で逃げ遅れた……」と言った途端、動揺してリモコンの電源を切っちゃいます。これ、自分が「冷たい」わけじゃなく、共感して心配しすぎちゃうからと(今は)分かっているので、もう見ないが一番。 

 その点、新聞なら「不意をつかれる」ことがないのと、ちゃんと文章になっているのと、読む記事の取捨選択ができるから安心です。新聞の発行部数は減るばかりの昨今ですが、せめてオーバー70の私たちは、この文化を守りたいです。

 町の本屋さん、寛げる喫茶店、早朝に届く新聞、私のなくなってほしくないものベスト3かも。

 最近は昭和レトロの喫茶店は人気だし、新聞を取っていない子世代は、実家に帰ってくると「新聞読むの久しぶり、なごむー。少しもらってっていい?」。孫が工作で使ったり、食器を包むのに使うらしいです。

 あれ、ニュースを見ない話から脱線しちゃいましたね(笑)。

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お金に囚われてはいけない