インタビューに答える山下さん(撮影・平尾類)
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 お笑いコンビ「ジャリズム」は、山下しげのりさん(55)と渡辺あつむさん(55)によって1991年に結成された。デビュー直後から奇抜な世界観のコントや漫才を披露し、大阪を中心に関西で絶大な人気を誇った。しかし、97年に東京進出した後はメディアの露出が少なくなり、2度目の解散後は、相方の渡辺さんが落語家に転身して桂三度に改名。山下さんは芸人の道を一時引退するも2021年より再開、ライター、実業家、投資家と多角的に活動している。インタビューの【後編】では、紆余曲折を経たジャリズムでの活動、芸人を引退していたのに21年、22年のM―1グランプリに出場した理由――などについて語ってもらった。

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――ジャリズムを結成すると、1994年に「ABCお笑い新人グランプリ」で「審査員特別賞」を受賞するなど、一気にスター街道を駆け上がりました

 ありがたいことに同期や年の近い芸人さんたちに比べて、お客さんに名前を覚えてもらうタイミングは早かったと思います。「(心斎橋筋)2丁目劇場」(99年閉館)の舞台は1回のステージが700円だったので、それだけでは食べていけなかったのですが、アルバイトをしたのは半年から1年ぐらいでした。その後にテレビ番組に呼ばれるようになり、芸人の仕事だけで食べていけるようになりました。一時はNHK以外の全局で民放のレギュラー番組を持っていましたが、無我夢中でしたね。

――97年に東京進出したいきさつを教えてください

「エンタメゆうえんち 東京移住計画」(フジテレビ系)をやらせていただき、96年から「千原兄弟」さん、「雨上がり決死隊」さんと「アメジャリチハラ」(テレビ朝日系)も始まったので東京に行く準備をしようと。でも引っ越すタイミングでアメジャリチハラが終わってしまって…。「昼間の竹下通りで誰が一番ブリーフを汚せるか」など攻めた企画が多かったのですが、日曜の昼の放送だったのでなかなか難しかったです。東京の番組がなくなり、大阪のレギュラー番組に新幹線で通っていました。そうすると、交通費がかかるし、大阪に芸人がたくさんいるから、番組がどんどん終わっていく。あのときは辛かったですね。

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「笑っていいとも!」にゲストで出ても、「こいつら、誰やねん」