鹿児島市で開催された「かごしま国体」に出席し、ブルーインパルスの祝賀飛行を見上げる天皇、皇后両陛下=2023年10月7日、鹿児島市
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 天皇、皇后両陛下は5日、佐賀県で開幕した「国民スポーツ大会」(国スポ)の開会式に出席した。1946年に初めて開催された「国民体育大会」(国体)は、第78回の今年から名称が変わったが、両陛下が出席する「四大行幸啓」のひとつだ。皇室との長いつながりを振り返った。

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 昨年10月、鹿児島市で開催された「かごしま国体」の総合開会式で、入場行進する選手たちに笑顔と手拍子でエールを送る両陛下。天皇陛下の水色のネクタイと、皇后雅子さまの水色の装いは、おふたりでのリンクコーデとなっていた。

 そんな和やかな光景を感慨深く眺めたのは、かつて皇室に仕えた人物だ。この人物が勤務していた92年、山形県で行われた「べにばな国体」の開会式で、事件は起きた。
 

発炎筒が投げつけられた

 92年10月4日午後2時40分ごろ、べにばな国体の開会式で、当時天皇だった上皇さまがおことばを述べているときだった。

 スーツ姿の男が競技場のトラックに飛び出し、天皇の訪中反対を意味する言葉を叫びながら、上皇さまの方に向かって炎の出ている発炎筒を投げつけた。異変に気づいた美智子さまは、上皇さまをかばうように手を伸ばした。

当時、天皇であった上皇さまが「べにばな国体」でおことばを述べる中、暴漢が投げた発炎筒から陛下を守ろうと手を差し出された当時の皇后美智子さま=1992年10月、山形県天童市の県総合運動公園陸上競技場

 このとき宮内庁職員だった皇室解説者の山下晋司さんは、当時をこう振り返る。

「あの状況でとっさに身を呈して上皇陛下をかばおうとされた上皇后陛下のお姿に、深い感銘を受けました」

「反皇室」を掲げるゲリラ事件が多発した昭和から平成の時代、皇室は厳重な警備・警護の対象になっていた。

 昭和天皇が乗った御料車の窓は防弾ガラス仕様。警備のために、御料車が走る反対車線も通行止めとなり、原則として御料車の窓が開くことはなかったと、山下さんは振り返る。

 もちろん、令和に入ったいまも皇室の警備は厳重だ。しかし、おだやかな表情で出席されていた両陛下の笑顔に、前出の皇室に仕えた人物は時代の変化を感じたという。

「いまでこそ車の窓を開け、そして穏やかな表情で手を振る天皇と皇后雅子さまの姿は、見慣れたものでしょう。しかし、平成の両陛下が車の窓を開けて手を振る姿は、ある種の驚きと好感を持って迎えられ、新しい時代を感じさせるものでした」

 平成、そして令和でも天皇陛下や皇族方が、夜にルームライトをつけた車の窓を開けてほほ笑む光景など、想像もつかなかったと話す。

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進駐軍管理下の競技場での「国体」