10年ぶりに日本の音楽シーンに戻ってきたアンジェラ・アキさん
この記事の写真をすべて見る

「拝啓十五の君へ〜30歳になった私からのメッセージ〜」(NHK総合・午後10時)が2日に放送。2008年のNHK音楽コンクール中学校の部の課題曲アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓十五の君へ〜」だったが、当時アンジェラと交流を深めた長崎・五島列島の中学生は今年30歳を迎えた。番組ではアンジェラと30歳になった当時中学生だった人たちと再会を果たし、それぞれのこの15年を語り合う。アンジェラ・アキの過去の人気記事を振り返る(「AERA dot.」2024年4月20日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)。

【写真】アンジェラ・アキさんの別カットはこちら

 *  *  *

 “ハーフは売れない”“28歳のデビューは遅すぎる”。長い下積みを経験し、デビュー後もがむしゃらに頑張って『手紙』という大ヒット曲を生み出したアンジェラ・アキは、なぜ無期限の活動休止を決意したのか――。その理由は、“夢”だった。10年ぶりに日本の音楽シーンに戻ってきたアンジェラ・アキさんのロングインタビューを届ける。

 約10年ぶりに日本での活動を再開したシンガー・ソングライターのアンジェラ・アキさん。

 日本人の父親とイタリア系アメリカ人の母親を持つ彼女は、2005年、28歳の誕生日の前日にシングル「HOME」でメジャーデビュー。翌年、日本武道館史上初となるピアノ弾き語りによる単独公演を行い、NHK紅白歌合戦に出場するなど、大きな成功を収めた。その後も「サクラ色」「手紙~拝啓 十五の君へ~」などのヒット曲を生み出すなど順調な活動を続けていたが、2014年に無期限活動停止を宣言。ミュージカル音楽を学ぶために渡米した。

「90年代に初めてニューヨークに行ったときに観たミュージカルがすごく印象に残っていて。ハワイで高校時代を過ごしたときにちょっとだけミュージカルに出演したこともあって、『ミュージカル音楽を作ってみたい』という夢はずっとあったんです。2000年以降のアメリカでは、ポップスとミュージカルの溝がなくなって、ミュージカル俳優のアルバムがビルボードで1位を取ることも。『私もそういう存在になりたい』という気持ちが、年を重ねるごとに強くなりました」

 日本の音楽シーンで輝かしい功績を残してきたアンジェラさん。シンガー・ソングライターとしてのキャリアを中断し、リスキリングのために渡米するためには大きな決断が必要だったはず。しかし本人は「ミュージカルの作曲家を目指すためには絶対に必要だった」と語る。

「ブロードウェイのミュージカルに関わる作曲家のほとんどは専門的な音楽教育を受けているし、私のようなシンガー・ソングライターが出る幕はない。大学での勉強はミュージカル作家になるためというより、キャリアのスタート地点に立つための最低条件。日本で活動を続けながら勉強するのは無理だと思いましたし、もし日本の大学に入ったら“なんでアンジェラ・アキがここにいるの?”と先生もやりづらいじゃないですか(笑)。誰も自分のことを知らない、まったく優遇されない状況で自分を試したいという気持ちもありました」

著者プロフィールを見る
森朋之

森朋之

森朋之(もり・ともゆき)/音楽ライター。1990年代の終わりからライターとして活動をはじめ、延べ5000組以上のアーティストのインタビューを担当。ロックバンド、シンガーソングライターからアニソンまで、日本のポピュラーミュージック全般が守備範囲。主な寄稿先に、音楽ナタリー、リアルサウンド、オリコンなど。

森朋之の記事一覧はこちら
次のページ
LAでは100%学生の生活