無計画だったから出会えた、夫と娘

 だから私自身は、少なくとも今のような形でしか結婚も出産もしなかったように思います。今のような形というのはつまり、四十歳を過ぎて予定外の事故のような妊娠で子どもを作り、その相手と結婚した、という、降りかかってきたものに対処する形のことです。四十歳であってももっと自覚的に結婚や出産を計画した友人もいますが、あくまで私の場合は、そこにむかって努力できるほどはっきりとした希望を持てませんでした。

 ただ、私は結婚や出産に限らず、就職も二十六歳までしなかったし、大学受験を決めたのも高三の夏だし、元来何かが降りかかってこないと自分から進んでいかないタイプなのかもしれません。今は産まれてきた娘のことも夫のことも、全力で守ろうと思いますが、この瞬間も歌舞伎町で飲んでタバコは吸いたいし、妊婦や授乳中の人が受けられない“肩こりボトックス注射”も受けたいし、あきらめざるを得なかったものへの執着と恨み節は止まりません。

 今三十四歳で婦人科や医者への苦手意識もあり、子どもを持つことにはやや消極的、しかし一人で生きていく自信がない、と悩まれているそうですが、少なくとも私は三十四歳のとき、どういう風にこの先生きるか、パートナーを作るのか気ままに一人でいるのか、積極的に妊娠するのか、うっかり妊娠した場合はどうするのか、など何一つ決めていませんでした。決めていなかったからこそ今があるとも言えます。結婚すると強い意志を持っていたら、いつまでも歌舞伎町でだらだら飲んでおらず、今の夫と知り合うことはなかっただろうし、子どもは絶対に持たないと決めていたらもっとちゃんと避妊していただろうし、あくまで自分らしい日常の連続の先に今の状態があったと思うことにしています。

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