独身時代の生活のほうが「自分らしい」

 四十一歳になった今は窓も大して開かない産院の個室の、コーヒーもタバコもない可動式の机をベッドにくっつけて、二日前の帝王切開の傷にもだえながらこの原稿を書いています。規則正しく栄養バランス抜群のちっとも心躍(おど)らないご飯を提供され、当然院内すべて禁煙でスターバックスもドトールも酒類自販機もなく、横のテーブルに積まれていくのは「お世話記録用ダイアリー」やら「ミルクのしおり」やら「赤ちゃん相談カード」やらで、「涼美さん」でも「鈴木先生」でも今の姓である「青栁さん」でもなく、「ママさん」としか呼ばれず、深夜の外出もできません。

 それでもこの机の横で新生児用ベッドに寝ている生後二日の娘を見ていると、失ったすべてや疲れや痛みが吹っ飛ぶほど幸福!という人も少なからずいるのかもしれませんが、私は昨年の自分の生活の方がよほど無理がなくて自分らしいと感じるし、今のこの状態の方が幸福だとは思いません。おそらく私は自分で完全に選択できるとしたら、ちょっと虚しさや寂しさがあったとしても、好きな時に好きな場所に旅行できて、何時に寝ようが何時に出かけようがどれだけ何を飲んで何を吸おうが文句を言われない独身時代の生活を選び続けていたと思います。

 とはいえ別にものすごく仕事に燃えていたとか、思想があって非婚を貫いていたとかではないので、独身時代は独身時代で、私はこのまま二十代の時と同じ生活を続けていていいのだろうか、最後は一人で野垂れ死ぬのだろうか、十年後には惨めな気分になるんじゃないか、健康を損ねたら死ぬほど孤独になるんじゃないか、と不安に思う気持ちはありました。独身の友達が結婚しそうになったら、なるべく仲間を失いたくないなぁと陰鬱(いんうつ)な気分になったり、離婚した友人が以前のように遊べるようになると心強くなったりしていた気がします。

 そんな不安や心の狭さを抱えながらも、特に結婚や出産に向けて身体が動かなかったのは、心や頭が判断しきれない自分の好みや体質を身体がうまくかぎ取って、ゆるゆるとした選択をしていたのだと思います。

暮らしとモノ班 for promotion
「昭和レトロ」に続いて熱視線!「平成レトロ」ってなに?「昭和レトロ」との違いは?
次のページ
予定外の事故のような妊娠だけど…