あんな出来事があった、こんな話題があった…と記事で振り返る「あのとき」。昨年の9月ごろに、多く読まれていた記事を紹介します(この記事は2023年9月30日に「AERA dot.」で掲載されたものの再配信です。年齢や肩書などは当時のもの)。
【図版】長男・慶人さんと次男・悠生さんの学歴、現在までの歩みはこちら
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医師にも医学部にも全く縁のない、ごく普通のサラリーマン家庭。そんな環境から息子2人を国立大学医学部に進学させた岐阜県在住の國井孝洋さん。長男・慶人さんは2017年に福井大学医学部に現役で合格し、現在は朝日大学病院に研修医として勤務。次男・悠生さんは21年に、岐阜大学医学部に一浪で合格。現在は同大3年生だ。地元の中小企業に勤める國井さんとパート職員の妻は、家庭でどのような教育を行ってきたのか。好評発売中の週刊朝日ムック『医学部に入る2024』で、國井さん親子を取材した。前編・後編の2回に分けてお届けする。
長男の医学部志望を機に始まった親子の医学部受験態勢
國井孝洋さんは岐阜市在住、建材を扱う地元企業に勤めるサラリーマンだ。妻の恵美さんはパート職員。親戚中を見渡しても、医学や医療に携わる人間は全くいない。そんな國井さん一家が医学部受験に関わるようになったのは、2016年7月。高校3年生の長男の慶人さんが「医学部を受験したい」という意思を両親に伝えたことが最初だった。孝洋さんが振り返る。
「親として子どもの将来に望む一番のものは、もちろん健康などが大前提としてあってのことですが、やはり生活の安定だと思うんです。そう考えると、定年がなく、資格として生涯生かせる道を志してくれたということは、妻も私も正直うれしかったですね。ただ、自分で決めたことは責任をもって成し遂げてほしいという思いがありましたから、その決意がどれほどのものかを確かめる意味で、敢えて違う道も提案してみたんです」
慶人さんの成績であれば、京大の理系学部や東工大も目指せる。そちらに進んで大企業に就職したり、研究職に就いたりという道もある。そう提案してみたが、慶人さんの意思は揺るがなかった。
幼い頃から人を助ける仕事に就きたいと思っていたところへ、高校の授業で職業について考える機会があった。
「そのときに、目の前の人を助ける実感が持てるのはやはり医師のいいところだなと改めて痛感し、医師になりたいと思いました」(慶人さん)