そんな時に、昇進試験を受けました。「こんなに頑張っているんだから給料上げてほしい」と思ったから。でも、こっぴどく批判されて落ちました。近視眼的で自己中心的であるという評価が返ってきました。
――そこで目が覚めて、奮起したのですか?
及川:子育てをしながら、誰よりもがんばっているっている自負があったから、「会社はわかってくれない病」にかかりました。当時、私は出向していたので、本社にいないから指導がもらえないし、上司にも引き上げてもらえないとか、本社にいる同期と違って、365日ルーティンみたいな仕事だからとか他責にしてしまうのです。自分の仕事に誇りを持っていたはずなのに。
そうしたら、尊敬するビジネスパートナーに「及川さん、どうしちゃったの? これ以上私たちをがっかりさせないでちょうだい」って怒られました。それから上司のところに行って「私グレてました」って聞いたら「気づいた?」って。「ああ、会社の空気悪くしてたの私だ」って思った。
さらに上司は「あなたが一番やりたいことは何? 課長になってやりたいことは何?」と聞いてきたのです。本当は給料を上げてほしいという思いからでしたが、ないというのも悔しいから「この組織を一流にしたいんです」ととっさに応えた。すると「やりゃいいじゃん」と。
そうすると、初めて自分の中に問いが生まれた。一流とはなんだろうと。
――ターニングポイントになったんですね。
及川:私が目指す一流とは何か。すぐには答えが出なかったです。自分が思う一流の組織と自分を比べてみたり、売り上げが一流、つまりトップの事業所との違いはなんだろうとか、お客様に評価される一流ならばリピート率が高い人はどんな働き方をしているのか調べたり……。
気づいたのは、私自身が全然勉強もしていないし、仕事に時間は費やしているけど努力はしていないし、成長もしていない。そこから読む本も変わりましたし、自ら相談にいくようになりました。それで翌年、課長試験に受かりました。
結局チームを活かさない限りは、全体のパフォーマンスは上がらない。私はがんばっているつもりでいたけれども、お山の大将だったのです。
――そこからひたすら上のポジションを目指してやってきたのですか?
及川:次のポジションが来るときは、戦っているときなのです。任された現場が少し自分の思い描く一流に近づくと、本社に文句を言い始めるのです。こんな商品じゃダメだとか、戦略はこうしたほうがいいとか。文句を言っているとじゃあ本社に来て商品企画やれ、となる。商品企画をやりながら、あれもダメだからこうしたほうがいい、と言い始めると、宣伝もやれ、美容もやれとなって、領域が広がって、こういう会社でありたいよねと言い始めると、経営会議のメンバーに入れられた。
言葉に出していると責任を取らされる感じですね。居酒屋で愚痴を言う傍観者になるぐらいなら、やりたかったことを少しでも実現するほうでいたい。社長の打診が来た時も、やりたいことあるんでしょ? 責任とらないといけないよねと。社長になろうとは思ってなかったけれども、この会社をもっとよくしたいとは思っていました。
――もっといい仕事がしたいと思っていても、ポストは要らないという人もいます。今の時代、管理職を避けて、現場にいたいという人は少なくありません。
及川:チャンスが来たということは、自分を見てくれていた人がいるってことなんですね。そこはちゃんと受け止めて、ビビらずに飛び込んでみてくださいって思う。
会社も熟慮の上で指名しています。ここの部署を取りまとめてくれる人を目をさらのようにして探した結果です。もちろん、期待した側はやらせると決めたら、その人ができるようにサポートすることも必要です。
で、ダメだったら謝ればいい。命まではとられないよ。長い人生を考えたら、失敗こそ勲章かもしれないですよね。周囲はどううまく立ち回るかより、どれだけ打席に立つかを見ているんじゃないかな。