辻野さんが今も忘れられないのが、事業責任者を務めていた「VAIO」シリーズの新商品開発だ。辻野さんが米国出張中、直属の上司だったカンパニープレジデントが「絶対に売れないからやめろ」と現場の設計チームに中止を命じたことがあった。連絡を受けた辻野さんは「出張から戻ったらすぐに説得するから」とチームの動揺を抑え、帰国後すぐに上司と談判。ところが2時間粘っても、上司は首をたてに振らなかった。辻野さんは「絶対にヒット商品になる自信があります。それでもやめろと言うのであればクビにしてください」と言い放ってプレジデント室を出た。一方、設計チームには「プレジデントからオッケー出たよ」と嘘を言って、そのまま開発を進めた。いざ発売すると、大ヒットモデルになった。あるパーティーの席上、この上司が「このモデルこそ私が最も欲しかったモデルです」とスピーチするのを耳にしたが、嫌な気持ちはしなかったという。

「やめろと言った人がこんなに喜んでくれていると思うと、うれしくなりました。井深さんの言葉を思い出し、上司に反対されたぐらいで諦めなかったからヒットモデルが生まれたんだ、という感慨に浸っていました。このことがあって、周囲から反対を受ける時は、自分が試されているんだと思うようになりました」

 上司から一度や二度、冷や水を浴びせかけられたぐらいで諦めるのは、もともと大したアイデアではなかったからだ、と辻野さんは考えるようになった。その時に思い出したのが、ジョブズのスタイルだった。

「ジョブズは部下から上がってくる提案をとりあえず全て退け、それでも食らいついてくる部下の意見にのみ耳を傾けたと言われています」

 辻野さんが最近の風潮を踏まえ、警句として留意しているのは、盛田の「黙っているほうが安全だという雰囲気は、非常に危険だ」という言葉だ。

「日本社会は同調圧力が強く、自分の意見をはっきり言う人は嫌われ、周りに合わせていれば安全といった社会風土が染みついています」

 これは企業だけでなく、政治や行政にも通じる。自民党裏金問題や財務省の公文書改ざんも同じ構図だ、と辻野さんは訴える。

「グーグルには、上からの指示だろうが、世の中の常識とはかけ離れていようが、自分自身の倫理観や正義感を常に表に出す人たちが多くいました。おかしいと思えば、トップの指示でも従わない。私の感覚ではそれが当たり前です。保身や組織防衛のために、本来言わねばならぬことにも沈黙してしまうと、逆に組織は腐敗し弱体化していく。それは社会全体をダメにしていきます」

(編集部・渡辺豪)

AERA 2024年9月2日号より抜粋

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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