Xフォロワー約30万人の元自衛官のぱやぱやくん。自身の経験も踏まえたメンタルを安定するためのノウハウには、多くの注目が集まっています。そんなぱやぱやくんが自衛官の経験を元に「人間は、平時よりも有事のほうが生きにくい」という考えを持っています。その理由を、著者の最新作『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』から内容を一部抜粋・再編集して紹介します。
【マンガ】社会という「戦場」で生き残るには…元自衛官が教えるサバイバル術はこちら!
* * *
災害や戦争で社会が大きく揺れ動き、生きるのも精一杯なときを「有事」と言います。
一方で、特に大きな問題がなく、平和なときを「平時」と言います。
世間一般では「有事はとても辛い、平時は問題がなく楽」と思われていますが、実は、「平時こそ生きにくい」という指摘もあります。
というのも、有事の際には「生き延び」さえすれば良いのですが、「生きていて当たり前」の状態の平時では、生きるための明確な理由を見つけるのが難しいからです。
また、平時では「生きているのに、何一つ達成できていない自分」に苦しさを覚えることさえあります。
そのように思い悩んでしまい、人間関係が上手く行かなかったり、仕事に支障が出てしまったりすることもあります。
最悪のケースとして、現代の日本では、命を絶ってしまう人すら出ているのです。
それに比べると、先ほども言った通り、有事は「生き延びる」「誰かの命を助ける」というアクション以外は、究極的にはどうでもいいのです。
先ほどから、私は、今が非常に生きにくい人にとって、この世界は戦場である、と言ってきました。
というのも、私は「まず生き延びること」、そして「自分の身を守ること」を優先すべきだと考えていたからです。
ここからテーマとしてお話するのは、生きるのが難しい「平時」の世界をどのように、そして誰と一緒に過ごすのかなのです。
皆さんもご存じのように、平時の世界では「死ぬ」までは行かないけれども、他の誰かを蹴落とし合っている競争が、常に繰り広げられています。
この競争で、あなたが直接、命の危機に瀕ひんすることはほとんどありません。
しかし、足を引っ張り合ったり、ときには相手のことを陰で悪口を言ったりというのがあふれているこの世界で、あなたのライフポイントは確実に削られています。
そうしたダメージを受けた際には、必ず回復をしなければなりません。食事や睡眠などは、もちろん回復のためには欠かすことができません。
しかし、人間が一人で生きていくことができない生き物である以上、誰とどのように生きていくのかを、ぜひ考えて欲しいと思っています。