絵:チャンス大城
絵:チャンス大城

 あの日、僕は間寛平さんを初めて生で見たのでした。

 実を言うと、僕はその日まで寛平さんのことをよく知りませんでした。ハザマじゃなくてカザマだと勘違いしていたぐらい、知らなかったのです。

 ところが、「かいーの」とか「なにがじゃ、どーしてじゃ」という爺さん役のギャグを生で聞いて、本当に体に電気が走ったのです。

「この世にこんなに面白い人がいるんや、かっこええなー」

 寛平さんのことを思い出したら、同時に小学5年生のクラス会のことも思い出しました。僕はそのクラス会で、初めて人前でF1のモノ真似をやって、どかーんとウケたのです。

「そうや、僕にはお笑いがあるんや。勉強もダメ、スポーツもダメな僕は、お笑いでのし上るしかないんや!」

 当時、僕と同じ尼崎出身のダウンタウンさんが、毎日放送で『4時ですよ~だ』という生番組をやっていました。女子高生に大人気の番組で、会場はいつも満員。関西の中高生でこの番組を知らなかったらモグリ、というぐらいの人気番組でした。

 火曜日の『4時ですよ~だ』に、「かかってきなさい!」という素人参加のコーナーがありました。素人が3組ぐらい出てきては、マジックとかショートコントを披露して、その日の優勝者を決めるコーナーです。僕はいじめから脱出するために、このコーナーのオーディションを受けることを決意したのです。

 決意したその日から、僕はネタ作りに熱中しました。

「かかってきなさい!」には3組ぐらいしか出演できないので、尺を埋めるにはショートコントを4、5本作る必要があります。まずは、近所に住んでいたオキタ君の口ぐせ、「オッヒョッヒョ」を使わせてもらうことにしました。

 一発ショートネタをかました後に、「オッヒョッヒョ」というブリッジを入れて次のネタに移っていくのです。これは、ショートネタを繋いでいくのに有効な手段でした。

 Tは、僕が起死回生を誓ってネタ作りをしていることなど知らずに、

「オオシロ、肩もめや」

 などと言っては、僕を舎弟のように扱っていました。

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頭の中はネタのことで一杯で、いじめもどうでもよくなっていた