興味深いのは、この「ミメロギア」というエディトリアル・ゲームをやってみると、何がデキがよくて何がデキが悪いかは、すぐにメンバーのあいだで自然に判断できるということだ。

 その場の相互評価性がおのずと発生してくるのだ。すぐに一座の評価基準が自生してくるのだ。これが大事な点である。〔追記=本書の初版が刊行されたあと、私はイシス編集学校という編集を学びあう学校をネット上につくったのだが、この学校ではミメロギア・ゲームが必須カリキュラムのひとつになった〕

 権威や他者が評価をくだすのではなく、評価が自発してくるところがおもしろい。だから誰が審判役をやっても、あまり文句は出ない。これは連歌や俳諧にも通じることで、出来・不出来が大事になるのではなくて、その「場」の力にみんながうまく乗っていくことが重要なのである。客観的な評価基準ではなく、その場がほしがっている評価の方向に動くのだ。そのために連歌や連句では「付句」といって、相手の言葉に付け加えるルールが自発していった。そこから「一座建立」という言葉も生まれた。

 さらにはゲームを観察してみると、ひとつの言葉がもうひとつの言葉を相手にして「一対の関係」に入るということに、気がつく。そこから言葉というものの本来の動向が見えてくる。

 たとえば「口をとじる山口百恵」という言葉が浮かべば、ふと「歯をむく松田聖子」という言葉もくっついてくる。すなわち、Aの情報はもうひとつ別の片割れのBの情報を求めて、その方向にむかって遊びたがっているように見えるのである。

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