筆者は政治部記者から駐夫になり、男性の窮屈さを振り払った。駐夫はひとつのきっかけにすぎないとした上で、「私のような男性が一人でも多く出現すれば、ジェンダー格差が甚だしい社会も変化すると確信する」(撮影/写真映像部・松永卓也)
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 1997年以降、共働き世帯数が専業主婦世帯を上回る日本で、男性が家事・育児に取り組まない、あるいは取り組めないのはなぜか。妻の海外赴任を機に「駐夫」として主夫に転じた政治部記者がデータを基にその理由を考える。AERA 2024年8月26日号より。

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「女性閣僚〇人という記事を出す意味が、どこにあるのか?」

「保育園代やシッター代で給料がなくなるなんて、何のために働いてるの。早く辞めたら」

「子どものお迎えで早帰りする、あいつ(女性記者)はマジで使いにくいよな」

 いずれも同じ人物がその昔、何の臆面もなく周囲に言い放っていた文言だ。男女共同参画意識が欠如し、男性優位が続く日本社会に浸りきっていた人物。まさに、以前の私(52)である。

 共同通信の政治部記者として、平日は朝から夜まで仕事漬けで、毎月100時間を超える残業。週末の地方出張を何の疑問を抱くことなくこなしていたが、2017年末、会社員の妻の米国赴任を受け、会社を休職し、「駐妻」ならぬ「駐夫=駐在員の夫」として、2児を育て、妻を支える主夫に転じた。時短勤務ながら、つかんだ海外赴任のチャンスを生かしてもらいたかったのもあるが、妻に対する「罪滅ぼし」の面がなかったとは言い切れない。

 当時、45歳。連日身を包んでいたスーツという鎧を脱いだ時、まるで期間限定の定年をいち早く味わったような気分だった。

 渡米前、妻との家事・育児分担比率は、多く見積もっても2割といったところ。主たる稼ぎ手としての長時間労働を言い訳に、家事・育児に主体的に参画するのを潔しとせず、手伝っていたような意識が強かった。1年間の育休経験こそあったが、復帰後は反動で猛烈に働き、男らしさのデフォルトに戻った。それが、在米中は真逆となり、3年前の帰国後は半々だ。

 そんなかつての私のように、日本の男性は、家事・育児に取り組まない、あるいは取り組めないことが、各データで明らかになっている。

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共働きでも妻の負担大