バレーボール男子・石川祐希:1次リーグは本領が発揮できていなかったエースの石川は、準々決勝のイタリア戦で復調。チーム最多の32得点の活躍だった(写真:代表撮影/JMPA)
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 イタリアに敗れ準決勝進出を逃したバレーボール男子。4年後、「壁」を越えるためには何が必要なのか。AERA 2024年8月26日号より。

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 あと1点が遠かった。バレーボール男子の準々決勝イタリア戦。日本は2セット連取から大逆転負けを喫した。

 それでも、この躍進は日本の誇りでもある。2000年代に入ってから男子が自力でオリンピックに出場したのは、08年の北京大会のみ(最下位の11位)。世界のバレー界は高さとパワーの時代に入り、日本は世界から取り残された形となっていた。

 この“沼”から抜け出すのは、難しいと思われていた。しかし奇跡が起きた。石川祐希と高橋藍(らん)という数十年に一度の選手が同時に現れ、そして海外での指導実績を持つフィリップ・ブラン氏をコーチとして招聘(しょうへい)したことで潮目が変わり、東京大会ではベスト8に進出した。

 その後も日本はブロッカーとリベロの連動を究め、チームディフェンスを世界トップレベルにまで高めて、パリ大会を前に世界ランキングを2位にまで上昇させた。

 しかしいくら守備を強化したところで、スパイカーが決めなければ点は入らない。今回、石川が見せたのは、10年間、世界最高峰のイタリアリーグで活躍してきた技術だった。

 コースの打ち分け。ブロックアウトにリバウンドを取る巧みさ。ブラン監督はこう言った。

「イタリアで石川は、日本国内では体験できないブロックの高さを目の前にして技術が磨かれた。それにイタリア語でしか表現できないバレー用語もある。石川は引き出しを増やしたのです」

海外での経験が昇華

 石川に続いたのが高橋だった。21年からイタリアでプレーしたが、高橋の場合はリベロに指名されるなど、紆余(うよ)曲折があった。ただ、それがオールラウンダーとして成長につながった。

 準々決勝のイタリア戦は、現時点での高橋の真骨頂を示すものだった。3セット目までは攻撃には積極的に参加せず、見事なディグを何本も上げ(リベロの経験が生きていた)、守備隊形が崩れてセッターがトスできない場面では高橋がトスを上げた。そのトスがセッター並みの質だった。速さ、高さ、そしてなによりアタッカーが打ちやすいトス。本当に舌を巻いた。

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