優勝候補、超高校級の選手、伝統の強豪校がまさかの敗戦を喫する。予想だにしない番狂わせに球場が沸いたのは数知れず。歓喜の輪にいた球児はその試合を今も鮮やかに記憶している。AERA増刊「甲子園2024」の記事を紹介する。

【写真】五回裏、那覇商1死三塁、一塁前にスクイズする草場

那覇商の投手・伊佐はフォームに変化をつけて打者を翻弄した(写真は次戦の対佐賀商でのもの)
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 この年、初出場で春夏連続出場を果たした那覇商(沖縄)は強力打線の横浜(神奈川)に競り勝ち、凱歌を上げた。

 横浜は多村仁、斉藤宜之、紀田彰一など、のちにプロ野球選手となるメンバーが多数在籍する超高校級の優勝候補。

 試合のカギを握ったのは那覇商のエース・伊佐真琴だ。縦に落ちるカーブやスライダーなど変化球を多投し、上から投げたり、やや横手から投げたりとフォームに変化をつけて、打たせて取る投球に徹して成功した……と、当時のメディアでは評されたが舞台裏は事情が異なっていた。伊佐が振り返る。

「実は春の大会あたりで、ストライクが入らなくなってしまい、今でいうイップスになってしまったんです。それからは夏の沖縄大会も甲子園も一球一球が自分との闘いです。『ストライクよ、入ってくれ』って祈るような気持ちで必死に投げていました」

 変化球を多投したことも、フォームに変化をつけたのも苦肉の策だった。

「一球ごとにストライクが入りそうなボール、投げ方を選んでいたのです。横浜打線対策ではありません。次はこの投げ方でこのボールならストライクが入りそうだって探していただけなんです。前向きに解釈するなら、そんな投球スタイルが相手の意表を突いて、打線の歯車を狂わせたのかもしれません」

 マウンドで苦しみながら持ちこたえる伊佐に打線もこたえた。一、三回は2死から適時打。五回はスクイズ、八回は犠飛で加点した。

「ベンチはとてもリラックスして、 ほどよい緊張感と普段通りのいい雰囲気で、頼もしい存在でした」

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横浜の主砲との対戦