渡辺照子(わたなべ・てるこ)/1959年、東京都出身。武蔵大学中退。2人の子どものシングルマザー。同じ会社に事務職の派遣社員として16年8カ月勤めた。2022年から東京都練馬区区議(撮影/写真映像部・佐藤創紀)
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 30年以上、非正規で働き続け、派遣社員として雇い止めも経験した東京・練馬区議の渡辺照子さん(65)。その半生を振り返ってもらった。AERA 2024年8月12日-19日合併号より。

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 現在は練馬区議ですが、これまでいろいろありました。大学在学中に出会った男性と5年間、放浪。時にホームレスをしながら、子ども2人を授かったものの男性がいなくなり、3歳と1歳の子どもを抱えて実家に戻りました。25、26歳だったと思います。

 大学は既に中退扱いになっていました。子ども2人を保育園に預けて、スーパーや保育園の調理員、保険の営業、自民党都議の私設秘書、コールセンター勤務などを経験しました。

──正社員になる選択肢はなかったのですか?

 それは、ほぼ不可能でした。まず新卒でなければ、正社員になれませんでした。しかも子どもがいて、それまでの就労経験はバイトくらいしかない。いくつものハンデがあるので、正社員は到底無理な話でした。子どもを預けてすぐ働かなきゃいけなかったから、ゆっくり仕事を探す時間はありませんでした。

 トリプルワークをした時、体と心が限界を超えて、バターンとバッテリーが切れました。1年間働けなくなって、子どもの教育費のために貯めていたお金を、生活費に充ててしまったこともありました。

──2001年に派遣社員として事務の仕事を始め、16年間同じ職場で働かれました。マイナビの調査でも派遣元への不満があげられていますが、渡辺さんがつらかったのは、どんなことですか。

 毎日、正社員と全く同じ時間、同じ仕事をしていました。でも、派遣の時給単価は正社員と比較して非常に低いですし、退職金もありません。今、夏のボーナスの時期ですが、同じ仕事をしている自分にはボーナスはありませんからね。同一労働同一賃金であるべきはずなのに、私の場合は、交通費も住宅手当、忌引もありませんし、昇給や昇格もありませんでした。

 英語が苦手な正社員に代わって、海外の取引先と英語でやりとりする仕事もしました。正社員以上の仕事をしても、世間からは正社員より能力が低いと言われてきました。

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雇用形態の格差は、身分格差