壁に貼られた献立表には、料理の写真を添えてわかりやすく伝える工夫がされていた。全て新調したという食器も見せてもらった。「かつては、子どもが砂場で遊ぶおもちゃのお皿よりも汚かった」。登が顔をしかめて回想すると、看護師の女性が「今は患者さんがよく、おいしいって褒めてくださるんです」と控えめに笑った。

 これらは全て患者へのアンケートの結果を受けて改善したという。

「こんにちは」

 行き交う職員たちがカメラを持つ記者を物珍しそうに眺めつつ、あいさつをしてくれる。患者は廊下や談話室を自由に往来している。談話室の窓際に置かれたイスには年配の女性患者3人が座り、顔を寄せ合っていた。

「いつも同じ場所で集まっている仲良しグループなんです」と職員が言う。どんな話をしているのかと聞くと、「健康のこととか、ですね」と職員は笑顔でこちらの目を見て、はっきりと答えた。
 

現場で高まった危機感

 これまで知られてこなかった、事件後の彼らについて迫ってみたい。

 病院の法人が事件の原因究明のために立ち上げた「危機管理委員会」は名ばかりで、組織に大きな変化は見込めない。そこでさまざまな部署から集まった20人ほどの職員が自主組織「改善委員会」を立ち上げた。「何もしなければ再び事件が起きる」「これ以上病院の名前を傷つけたくない」――現場の危機感は高まっていた。

 患者家族に文章や写真で入院中の生活を伝える「安心レター」を配り、職員間で虐待防止策を話し合う。「A院長(注:事件当時)の反発を買い、衝突したとしても構わない」。そんな決意を確認し合って事務所に集まり、意見を交わす。しかし、誰を中心に活動をするか、責任と権限は誰にあるかが定まらない。思うように進まず、場はピリピリした。

「みんな鬱屈した思いが今にも爆発しそうだった」。精神保健福祉士の40代男性が当時の緊迫したさまを語った。

「自分たちで何とかしなくちゃいけないという焦りばかりが募っていた。多くの改革案が出されたけれど、どれもほとんど形にならなかった」

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