2021年6月1日に着任した新院長の土居も、出だしから壁にぶつかっていた。就任前から思い描いていた組織改革や救急医療の導入など、立て直しの方針はしっかり職員に伝えた。法律や人権意識を基にした守るべきルールを示し、今までの業務のやり方を変えるよう強く促した。しかし、うまくいかない。
「『法令や人権、正しい医療知識に基づいて行動することが正しい』というのは私の考えだ。しかし、それを押しつけるだけでは(トップダウンの)A院長体制と変わらない。私も同じ道を歩いてしまっていた」
トップ専制方式の危うさは知っていた。神出病院だけでなく、全国の精神科病院で院長や経営者に権力が集中しやすい傾向がある。
就任から2カ月たった8月、土居は事実上のツートップ体制を取る。立て直しの旗振り役として呼んだ公認心理師の大久保恵を「病院改革執行責任者」に据え、院長と同じ運営の権限と院長に対する監視機能を与えた。職員の主張や不満をすくい上げ、院長にもフィードバックしながら、職員に改革の趣旨をかみ砕いて伝える。院長、職員のメンター(助言者)的な存在となるのが大久保の役割だった。
各人がオールを握る
続けて2人は、病院の「理念」を新たに定義する。
「思考を止めてトップの指示通りに動くのをやめて、一人ひとりが自分たちでオールを握って舟を漕ぎだす。そのためには、目指すべき方向を正しく伝える灯台のようなビジョンが必要だったんです」
そう大久保が語る。10人前後の職員と議論をしながら、全職員への聞き取りを通じて組織内で何が起きているか、職員らが何を目指そうとしているのかを探る。管理職だけで頭をひねって答えを出すのではなく、現場を正しく見ることができれば、自ずと進むべき方向に光が見えてくると考えた。
職員は自信と誇りを失っていた。同僚がおぞましい虐待をしながら誰も止められず、患者を助けられなかったこと。周りに流されて、少なからず患者の身体拘束や隔離で違法行為に加担していたこと。世間から浴びせられる視線が痛く、つらい。自分たちで改革に踏み出そうともがいては挫折し、ここで働くこと自体が苦しいと打ち明ける職員もいた。