「感染症や新型コロナと同じでしょうね。人が恐怖を感じたものを排除するキャンペーンが張られると、全部捨て去って一気呵成に進めてしまう。それで当事者たちがどう感じるか、どういうことになるのか。本当は検証しなければいけないものがたくさんあるはずです。人間の特性なのか、日本人の特性なのかわかりませんが、150年かけてつくった隔離収容政策が障害者を不幸にしたことは間違いありません」
約150年前からつながる価値観
明治・大正期にできた精神病者監護法も、精神病院法も、根本的には精神障害者を「社会の異分子」で野放しにしてはいけない存在と捉えた。戦争に突入する中で、さらに障害者は「劣った存在」として捉えられ、「社会の負担」であるから「隔離」や「排除」をしてもいいとされてきた。つまり、歴史の中で差別感情はゆっくりと確実に醸成されていった。
戦後に制定された「精神衛生法」(現在の「精神保健福祉法」)も、家族依存を脱して病院で処遇することを目指したとはいえ、その実態はやはり「管理」だった。
その根幹となる強制入院制度は、ライシャワー事件を機に「患者狩り」となって加速した。
精神障害者を外の世界に出すな――。事件で剝き出しにされた世論を追い風に、家族や国に代わって管理の役目を引き受けるようになったのが、民間の精神科病院だったと言えるだろう。さかのぼれば、国は明治期から民間に頼り、戦後は限られた医療者と資金で病院を立ち上げられるようにし、危険とみなした人はすぐに入院できるようにして病院経営者たちの背中を押してきた。
神出病院の虐待事件が発覚した当時のA院長は、患者の家族たちに「行くところがない人を預かっている。ご意見は?」と発言した。かつての価値観がそのまま今につながって表出したと言えるかもしれない。
その医療観こそが長年繰り返し起きてきた患者虐待事件の温床になっているのではないか。
(敬称略)
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