東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 パリ五輪が開幕した。連日のメダルに国中が沸いている。競技の多くは日本の深夜だ。寝不足に悩まされている読者も多いだろう。

 ところで今回の五輪はロシアのウクライナ侵略、イスラエルとハマスの戦争が続くなかの開催となる。昨年の国連総会で採択された「五輪休戦」の呼びかけは完全な不発に終わった。ロシアもウクライナも休戦を拒否し、イスラエルは開会式翌日の7月27日、ガザの学校に攻撃を加えた。犠牲者には子どもも含まれる。

 五輪休戦の理念はギリシア時代の古代五輪に遡り、近代では冷戦後の1990年代に復活した。当時ユーゴスラヴィアでは激しい内戦が戦われていた。その状況を受けて、93年の国連総会で翌年リレハンメル大会での休戦が呼びかけられた。それ以降、五輪前年の休戦決議が慣例になっている。

 休戦の呼びかけに法的拘束力はない。ただ今回気になるのは決議自体の形骸化だ。

 じつは五輪休戦決議は、長いあいだ「議場の総意」として投票なしで採択されてきた。まさに平和の象徴としての決議だったのである。それが今回は投票となり政治的な応酬の場になってしまった。結果は賛成多数で採択されたものの、ロシアとシリアは棄権した。

 IOCの立場も難しくなっている。パリ五輪ではロシアとベラルーシの代表を出場禁止にしたが、個人資格参加の逃げ道をつくった。他方でイスラエルとパレスチナには共に代表出場を認めている。玉虫色の判断なのは明らかだが、それ以上を求めるべきかどうか。

 IOCの「中立性」を批判する声もある。しかし政治はつねに分断を生み出す。ロシアは独自の国際大会の開催も示唆している。そうなっては冷戦期の五輪ボイコットの再来である。80年のモスクワ大会には西側が参加せず、84年のロサンゼルス大会には東側が参加しなかった。

 クーベルタン男爵は五輪精神は分断の壁を壊すものだと言った。それは政治の壁を壊すということだ。戦争の時代だからこそ、政治が決して入り込めない領域を守るのも大切なのではないか。選手の活躍を見てそんなことを思った。

AERA 2024年8月12日-19日合併号

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東浩紀

東浩紀

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

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