綱川明美さん(撮影/写真映像部・松永卓也)

――見事に合格し、合計3年で卒業に必要な単位を取り終えてしまいました。結局、ストレートに進学した場合と卒業までにかかる期間はかわらない年数です。それも最初から考えていたのですか。

 綱川:そうですね。作戦があったんです。アメリカの大学は学費が高く、私が在学していた当時でも授業料だけで年間400万~500万円もした。私には兄も妹もいますし、授業料は親が払ってくれていたので、「のんびりしているとよくないな」とは最初から考えていました。

 それに、この大学を過ごす年齢、18歳から22歳のときの1年は「長い」ですよね。語学の習得にかかった1年も含めてトータル4年で卒業できるように、考えました。

 必要な単位を取得したら卒業ですので、あえて単位数の多いクラスを選びました。ヘブライ語とかアラビア語とか、多くの人にとってなじみが薄く、難しいので不人気なクラスでした。でも効率よく単位がとれるのです。それらを中心に取った結果、3年で卒業できました。

 ――人生のポイントは因数分解と過去のインタビューでおっしゃってましたが、それを本当に実践してきたのですね。どうやって身に着けたのでしょうか?

 綱川:小さいころに習い事をやっていたんです。8歳くらいのときから、水泳、ピアノ、パソコン教室など常に7つくらい習い事をしている状態で。でも、遊ぶ時間がほしい。学校の宿題もある。そんななかでなんとか高速で終わらせる方法をいつも考えていました。

 母親がとにかく怖かったんですよ。習い事を「辞めたい」って言えなくて。辞めたいと言って怒られるよりは、高速で終わらせた方が自分のためだと思っていました。そうやって、常に「最短で結果を出すにはどうすればいいか」と考えることが身についたのかもしれません。

 ――最初から目指して起業したのですか?

 綱川:いいえ。むしろ「サラリーマン」に憧れていました。大学卒業後に最初に勤めたのはオーストラリアの投資銀行でした。

 父親が事業をしていたので、休みが 不定期でした。出張についていくことはありましたが、純粋な家族旅行とは違う。夏休みや休日にお出かけする友人がとてもうらやましかった。

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「チャットボット」の言葉も知らなかったが