「黒い札束(さつたば)」って何のことかわかりますか?
答えは「乾海苔(ほしのり)」です。
昔、海苔は高級品であったため海苔を取り扱う方たちの羽振りがよく、海苔は「黒い札束」と呼ばれていたのだそうです。
また、海苔は良質なたんぱく質を多く含むことから「海の大豆」とも呼ばれています。たんぱく質のほかにも、鉄がほうれんそうの約10倍、ビタミンB2は約14倍など、ビタミン・ミネラル類が豊富に含まれているのだとか。ビタミン・ミネラルが不足しがちな現代人のみなさま、今、海苔の美味しい季節ですよ!
高級食材「海苔」を庶民に普及させた徳川家康!! 江戸発祥の海苔養殖の技術は韓国にまで伝わった
海苔といえば、いまでは四角い海苔が一般的ですが、これらは江戸時代に浅草から始まりました。海苔は古くから食べられていましたが、ごく少量しかとれない岩海苔が主流だったため、貴族にしか口にできない大変貴重なものでした。
江戸幕府を開いた家康は、品川の漁師たちに日々の魚を献上するよう命じていました。
悪天候の日は漁に出られないため、漁民は海岸に生簀(いけす)を作り、新鮮な魚をキープしていました。
この時、生簀の柵として海中に埋めた雑木(ひび)に、偶然にも大量の海苔が付着したのです。
海苔が好物だった家康はたいそう喜び、海苔の養殖を推奨したため、品川や大森の海岸で海苔の大量生産が始まりました。
また浅草では、浅草紙(当時のちり紙)の手法をもちいて、つんだ海苔を刻んで、水とまぜ、簀子の上に四角くすく『乾海苔』が開発されました。焼いたときの磯の香りも香ばしく、ぱりぱりとした歯触りが江戸の町人の人気をよびました。養殖の生産が増えるとともに、量産が可能となり手に入りやすくなるようになったのです。江戸の末期には、北は気仙沼から南は広島まで養殖がおこなわれ後にはに九州を含む全国に広がりました。やがてその技術は韓国にもつたえられ、今日に至っています。
こうして海苔は庶民の口にも入るようになり、すしの海苔巻きの文化もこの時代に生まれました。
現在の乾海苔の名産地と生産シェアは下記のとおりです。
1位:佐賀有明 22% 2位:兵庫県 18% 3位:福岡有明 14% 4位:熊本県 11% 5位:宮城県 8%
節分の季節、海苔の歴史に思いをはせながら、太巻きを食べるのもいいですね。