その事実にラグジュアリーブランドが気づき、動き出したのが2010年ごろのことになります。2010年は、TIME誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の顔)」にフェイスブック創設者のマーク・ザッカーバーグ氏が選ばれるなど、スマートフォンとソーシャルメディアが急激に世界中に普及した年。ラグジュアリーブランドは企業のイメージを非常に大切にしてきた業界ですから、ちょうどそのころにラグジュアリーブランド自身も「何かが変わってしまう」という危機感があったのでしょう。
――とは言っても、ラグジュアリーブランドといえば独自の世界観が既に構築されていて、口コミや世の中の評価に左右されないイメージもあります。
一見そのように見えますが、実際はそうなっていません。実は、ソーシャルメディアには物の買い方ともうひとつ、影響を与えたものがあります。消費者の価値観そのものです。ソーシャルメディアの普及によって、私たちは自分自身のパーソナリティがすべてネット上に情報として置かれるようになりました。つまり、その人物のあらゆることが可視化されるようになった。以前までは一流企業に勤めていたり、立派な仕事をしていると、その人の社会的評価は無条件で高かった。しかし、ネット上での態度が不遜だったり、それこそ暴言を吐いたりしていれば、普段、どんなに立派に思われていても、「この人、本当はどんな人なのだろう?」「これが真実の姿では?」と疑いの目を向けられてしまうようになりました。こういった目線は、個人だけでなく対企業にも向けられており、ラグジュアリーブランドも例外ではなくなってきているのです。
――と言いますと?
例えば、以前は20万円の革のバッグがあるとすれば、その値段を見ただけで誰もが「これはいいバッグだ」と認めたでしょう。しかし世の中全体に「本当はどうなの?」という目線が生まれてしまうと、消費者は「本当に値段相当の価値があるのか?」と疑うようになります。そういう状況下で、どれだけ企業が「当社は良い物を作り続けています」と言っても、消費者にそのポリシーや熱意は伝わらないのです。
――御著を拝見したところ、メルセデス・ベンツやバーバリーといった名だたるラグジュアリーブランドの実例が掲載されているようですが、確かに彼らは単に自分たちのモノづくりを世の中に見せているというわけではなさそうですね。
はい。本の中に、リーマンショック後に人々の価値観が変化していることを示したデータを紹介しているのですが、それによると「安い」や「お得だ」、「流行している」ということを評価する人はどんどん減っている一方で、人々は「本物の」「信頼が置ける」「親しみが持てる」といったことを重要視しはじめていると示しています。日本でも最近「本物志向」という言葉をしばしば使うようになりましたが、つまるところ消費者は、本物は本物でも"信頼ができて親しみが持てる"本物を求めていることになります。
――では、企業はどのような形で情報発信をする必要があるのでしょうか?
まずは消費者から信頼をしてもらうために、客観的な手段を用いて自分たちのモノづくりを証明しなければなりません。例えばメルセデスAMGでは、これまで明かされていなかったエンジンづくりの行程を動画に撮って全世界に公開しています。そしてもうひとつ、親しみを持ってもらうためには、ごく限られたチャネルだけに情報を出すのではなく、誰もがアクセスできる場所に情報を流す必要があります。だからこそ、企業の側からソーシャルメディアの舞台に出て行って、お客さんと同じ目線でコミュニケーションしないといけないのです。
――お話をお聞きしていると、それはラグジュアリーブランドに限ったことではなく、どんなブランドにも通ずる話のように思えてきました。
まさに、そうなんです。世の中の人に"良い物"と認めてもらわなければ売れない商品は、高級品だけに限りません。ただ、ラグジュアリーブランド自体がイメージを大切にしている業界なので、そういうことに敏感なだけ。彼らがやってきたことは他の業界でももちろん通用しますし、学ばなければいけない部分がたくさんある。ですから、この本に登場する施策の数々は今の企業の消費者へのアプローチスタイルや、もっと言ってしまえば、実際に物を買ってもらいたいと思った時に十分に役立つと思いますよ。
<プロフィール>
小山田裕哉(おやまだ・ゆうや)
フリーライター・編集者。週刊誌やカルチャー誌、WEBメディア等、幅広いジャンルで活躍する。自身初の著書となる『売らずに売る技術』は、ハーバード・ビジネスレビューWEB内での連載「ラグジュアリーは変われるか?」を大幅に加筆・再校し執筆したもの。