そう。認知症の人って、こっちが勝手に決めつけている以上に、いろんなことをわかっているんです。そのことを、できるだけ多くの人に知ってもらいたい。

 その思いから、私は病院という枠を飛び出し、認知症の人の心の中への理解もふまえたケアを広める活動に身を投じるようになりました。

 あのときの「ヒザ!」という答えがなければ、私は今でも、人の思いに寄り添えない、未熟な理学療法士のままだったかもしれません。

 本当に人生って、なにがきっかけで、どこでどう変わるかわかりません。

 じつは、私のじいちゃんも認知症でした。

 じいちゃんは宮崎県に代々続くみかん農家の生まれで、日向夏という宮崎特産のみかんを始めたのは、じいちゃんの一族なんです。そんなわけで、宮崎ではちょっとした有名人だったじいちゃんは、私の自慢でもありました。

 認知症になってからも、めがねを額にかけたまま「めがねめがね……」と探し回る姿は、どこか愛らしくて、さながら往年の漫才師・横山やすし師匠のよう。

 それでも晩年はかなり症状が進み、ばあちゃんの葬式のときには、自分の妻のこともわからなくなってしまっていたほどです。大変だったのは、事あるごとに呼び出され、じいちゃんのお世話を続けた、娘である私の母です。

 先日、母にじいちゃんとのいい思い出があるか聞いたら、「大変だった思い出ならあるけど……、細かいことは覚えていないわ」と言うんです。

 じいちゃんの葬式のときには、大泣きするかと思ったけど、それまでが大変すぎて、思うほど涙が出なかった。「ホッとした部分もあった」と。

 昔は、介護は自宅の中で、家族だけで行うことが当然でした。「痴呆症」と呼ばれていた頃は、世間の目を避ける風潮もありました。
 

今の時代は、頑張りすぎないこと

 でも、今はそんな時代ではありません。介護保険などの制度も、人材も設備も、一昔前より格段に進歩しています。

 認知症と診断されたみなさん、そしてご家族のみなさん。

 どうか、頑張りすぎないでください。

次のページ
効いた一言「ちゃんと支えなさいよ」