熊野古道の途中にある水垢離場。かつて熊野古道を歩く人はここで身を清めた

 野古道は、平安時代の上皇から、庶民にいたるまで全国から参詣で訪れた。行列が切れ目なくできていたことから「蟻の熊野詣」といわれるほどのにぎわいを見せた。しかし明治以降は廃れていき、昭和30年代には歩く人も稀だったという。その後、40年代にはウォーキングが流行し、熊野古道、奥の細道、中山道といった古道の一区間を歩く人が増えたようだ。

 2004年には熊野古道が世界遺産に登録される。人気は一気に高まった。05年に田辺市と2町2村が合併し、一般的な熊野古道である中辺路の大半は田辺市に含まれることになる。そこで06年に同ビューローがつくられた。

 しかし同ビューローが直面したのは、伸び悩む観光客数という危機感だった。世界遺産ブームは一過性のものだったのだ。そこで外国人にターゲットを絞っていくことになる。

「倍々に増える右肩上がり」

 これが実を結んでいく。田辺市の観光協会のまとめによると、世界遺産に登録された3年後の07年は1299人だった外国人宿泊客数が、19年には5万0926人まで増えている。同ビューローの担当者も、「まさに倍々に増える右肩あがりの伸びでした」という。

 熊野古道沿いで「民宿ちかつゆ」を経営している木下久さん(69)はこういう。

「はじめは戸惑いました。それまで外国人を受け入れたことはほとんどなかったです。英語も話せないし、どんな料理を出したらいいのかもわからない。“ビューローさん”が開いてくれたワークショップが助かりました。そこで外国人を受け入れるノウハウを教えてもらった。うちは実験民宿のような立場でしたよ」

 同ビューローによると、外国人の対応を民宿のスタッフが学ぶワークショップは60回以上開かれているという。

 やってくるのはオーストラリア人やアメリカ人が多かった。前出の木下さんはこう話す。

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7~8割はアメリカ人とオーストラリア人