朝日新聞で「多事奏論」や「アロハで猟師してみました」を担当する近藤康太郎のもとには、〈仕事〉や〈勉強〉の仕方を学びに若い記者が訪れる。社会人は〈仕事〉だけでなく〈勉強〉に必死にならなければならないのはなぜか。『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』から。
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仕事ばかりしていると枯渇する
脳の処理スピードは、使えば使うほどに上がる。人間の潜在能力は計り知れないものがある。先にも書いた『モンテ・クリスト伯』の、独房にいる老人と同じですね。
絶対にNOと言わない。そういう態度でいると、生活が〈仕事〉ばかりになります。そうすると、つまらない人間になる。アウトプットばかりしてインプットしないのでは、どんな巨大なダムでもいずれ涸れる。
そしてそのインプットを、わたしは〈勉強〉だと定義しているんです。ライターにとってのアウトプットは書くことです。ライターにとってのインプットは、あたりまえですけど読むこと。だから、読むことが〈勉強〉です。
「言葉」はビジネスパーソンの武器
これはライターだけじゃないと思います。現代社会に生きる、ほとんどすべての職業人にとってのインプット、つまり〈勉強〉とは読むことだ。なかんずく、本を読むことになる。
日本だけではなく、欧米でも、先進国の労働人口は第三次産業に偏ってきています。農業や水産業、林業、あるいは工場労働者は、どんどん新興国の安い労働力が担うようになってきている。少し前までは中国が、その後はトルコにメキシコ、東南アジアのいわゆる「グローバルサウス」が、世界の工場になってきている。
トランプ大統領を誕生させた熱烈な支持層は、アメリカのかつての工場地帯、ラストベルトに住む白人のブルーカラーだと言われています。これも当然で、アメリカの工場労働者たちは、ものすごい勢いで新興国の安い労働力に仕事を奪われている。そうした不満を持つ人々が、ポピュリストの大統領を生む原動力になった。
第三次産業への、労働需要の偏在。そのよしあしを、ここでわたしは問題にしていません。どちらかというと「よろしくない」と思っている。だから自分自身は百姓になり、猟師になり、食肉処理業者になっているわけです。