MIXI代表取締役社長:木村弘毅さん(きむら・こうき)/2008年入社。ゲーム事業部で「サンシャイン牧場」などを担当したのち、「モンスターストライク」プロジェクトを立ち上げる。18年、社長就任(撮影/写真映像部・上田泰世)
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 2000年代に一世を風靡した国産SNS「mixi」。運営するMIXIは、「なつかしいSNSの会社」のイメージを脱却しつつある。2018年から同社を率いる木村弘毅社長に話を聞いた。AERA 2024年7月8日号より。

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ミクシィと聞いて、何を思い浮かべるだろう。

 30代半ばの記者にとって、ミクシィと言えばソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「mixi」だ。2004年に始まった国産のSNSで、私が大学生だったころ、新しくできた友人とは「マイミク(mixi上の友人)になろう」といってアカウントを交換するのがお決まりだった。

 久々にアカウントを開くと、なつかしさがよみがえってきた。日記を書き、そこに付く友人の反応に一喜一憂したり、自身のページを訪れた人を知らせる「足あと」欄に好きな人のアカウント名を見つけてドキドキしたり。当時、匿名の世界だったインターネット上で実際の知人とのコミュニケーションが生まれた衝撃は大きく、ユーザー数は07年に1千万人、10年には2千万人を突破した。

 運営する株式会社MIXIは1997年に創業し、99年に会社化。イー・マーキュリーという社名でIT企業の求人サイトを手掛けていたが、06年にサービス名と同じミクシィに社名変更した(22年以降、MIXI)。まさにSNSによって一時代を築いたのだ。

実名制に振りきれず

 ただ、2010年代に入ると、FacebookやTwitter(現:X)に押され始める。総務省情報通信政策研究所の「22年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」によると、mixiの利用率は全世代で2.0%、最も高い30代でも4.1%にとどまる。実際、今もアカウントが残り、記者の「マイミク」になっている173人のうち、1日以内のログイン履歴があるのは3人だけだった。唯一日記を書いていた大学時代の後輩に連絡すると、「うわ!見られてた(笑)」という返信のあと、こう教えてくれた。

「ちょっとした仕事のグチのような、『吐き出したいけれど、あまり積極的には言いたくないこと』をごくたまに書いています。つく『イイネ!』は多くて一つか二つ。mixiはなくなってほしくないけれど、前のようにみんなが見るようになったらそれもイヤかな」

 08年に入社し、18年から同社の社長を務める木村弘毅さん(48)は、SNS「mixi」がシェアを失った理由について、こう反省を口にする。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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