母校の大磯中学校の前は旧東海道の松並木で、ここも再訪すると、数学好きだったことを思い出す。小学校のときから算数が好きで、科学技術が「関心」から明確な「進路」へと変わったのは、神奈川県平塚市の県立平塚江南高校のときだ。「大学は理科系へ」と決め、理科系の授業を多く取った。

 東京工業大学へ入り、大学院で電磁波を研究テーマに選び、博士号を取得後に通信に強いNECへ81年4月に入社。6月にマイクロ波衛星通信事業部の空中線部へ配属され、以後20年余り無線機器の開発に携わり、衛星通信や携帯電話の基地局などを手がけた。その一つが、スウェーデンに納めた直径13メートルのテレビ送信用アンテナで、給電部を受け持った。

 パネル面の精度に気を遣ってつくり、輸出した。ただ、スウェーデンは冬にアンテナの大敵となる積雪があり、それを効率よく溶かす仕組みが必要だ。従来型の電熱線を反射パネルの裏に付けたが、衛星を使って送信テストをすると、実現したはずの性能の一部が何度やっても基準に届かない、と連絡がきた。

「球面にへこみが」白夜の太陽光で気づいた欠陥の原因

 8月中旬、気温が10度以下になったストックホルムへ飛び、原因を調べる。でも、いろいろ条件を変えてテストをしても、給電系に欠陥はみつからない。困惑が続くなか、ある白夜に外へ出てアンテナの上のほうをみていたら、地平線近くの太陽光が真横から当たり、球面に微妙な影ができていた。球面がまっさらなら、影などできない。へこみがあるからだと思い、ショックを受けた。

 輸送中の温度変化が原因と推定し、球面を回収し、日本でつくり直す。いくら電気的な設計が上手くても、物理的な設計や輸送が適切でないと、満足な結果は出ない。失敗はあったが、こういうプロセスは、科学技術好きにとっては神髄だ。

『源流Again』で、卒業した平塚江南高校も訪ねた。すぐに「自主自律」の碑が目に入る。先生たちがよく口にしていた言葉だ。いま考えると「独り立ちせよ」ということだろう。自分もずいぶん意識していたのを、思い出す。

 2010年4月に社長就任。翌年の年頭訓示で「ビジネスとは、絶え間ないイノベーションを通じて常にマーケットを開拓していくことで、広くグローバルに目を向けると、NECグループが貢献できる市場はまだまだたくさんある」と、社員たちに呼びかけた。以後、毎年の年頭や入社式の訓示で、大事なことは繰り返す。相手が同じ言葉を口にするようになるまで、繰り返す。それが、信条だ。

 科学技術が人々の役に立つ可能性を信じて、常に新しいことに挑戦し、自立し続けてほしい。これは、遠藤さんが歩んだ『源流』からの流れであり、その流れを少年少女たちへ受け継いでいくのが、夢だ。2016年に会長に、2年前から特別顧問へと肩書が替わっていくごとに、その思いを強めている。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年6月17日号

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