浜辺でみた人工衛星天空に動く白い粒が技術へ関心の出発点
ことし4月、子どものころから過ごした神奈川県大磯町を、連載の企画で一緒に訪ねた。大磯の海岸からみる相模湾の水平線は、霞んでいた。晴れて暖かかったので、海水が蒸発して光を散らしていたのだろう。でも、左手に江の島、右手に真鶴半島がみえる。子どものころ毎日みた風景と、変わっていない。
この浜で、六十数年前に人工衛星をみた。幼稚園の園長が連れてきてくれて、見上げると、天空を小さな白い粒が動いていた。ソ連製か米国製かは分からないが、いずれにしても新たな世界に触れさせてくれた。小学校4年生のときは、浜辺に近い自宅で人工衛星による日米間初のテレビ中継を観た。大統領暗殺という衝撃的なニュースが、現場から生放送で報じられた。
この二つの体験が、遠藤信博さんがビジネスパーソンとしての『源流』となったとする「科学技術への関心」の出発点だ。
1953年11月に大磯町で生まれ、父母と姉と4人家族。姉は七つ年上で、一緒に遊ぶことはなかったが、小学校へいくようになると家庭教師のような存在になり、中学生になるころに「あなたは意志が弱い。意志をもっと強く持たないと、事はできない」と注意され、「Where there's a will,there's a way.」という文言を教わった。
「意志あるところに道あり」の意味で、この「Will」から「パソリンク」の事業を指揮した事業部長時代に、部下たちへ繰り返して説いた「Strong Will and Flexible Mind」──強い意志と柔らかい心という言葉が生まれた。「パソリンク」の成功は、この実践と言える。
幼稚園にはバスで通ったが、自宅から1キロ以上あった大磯小学校には歩いて通う。訪ねると、すっかり様子が変わっていた。敷地は、元財閥の当主に譲ってもらった、と聞いた。
明治の元勲の別宅や旧財閥の邸宅があり誇らしさも感じた
明治維新の後、大磯町には伊藤博文や山県有朋、大隈重信ら元勲の別宅がつくられ、吉田茂・元首相や財閥だった三井家、安田家の邸宅もあった。近代史の香りがして、子ども心に誇らしさのようなものも感じた。