浦山桐郎監督の『キューポラのある街』で、吉永小百合はまばゆいほどの輝きを放っていた。貧しいながらもけなげに生きぬく、埼玉は川口の鋳物工の娘・石黒ジュンを見事に演じ切った。吉永は、この一作で国民的美少女から演技派への脱皮のきっかけをつかみ、押しも押されもせぬ新人スターとなる。そして「サユリスト」の名を生んだ。

 最初、吉永の起用に戸惑っていた浦山監督は吉永に言う。

「もっと、ニンジンみたいな娘がいいんだけれど……きみは都会的だなぁ。東京の出身か……、貧乏について、考えてごらん」

「貧乏なら、よく知っています。私の家も貧乏でした」

「きみんとこは、東京の山の手の貧乏だろ。もっとどうにもならんような下町の貧乏っていうものがあるんだ」

 吉永が『赤胴鈴之助』へのラジオ出演により収入を得ることによって、米びつが空っぽだったという吉永家の状態はよくなり、おかずが増えた。育ちざかりの吉永にはたまらなくうれしかった。同時に、妙な自覚も生まれたという。

〈この食卓の上のものは、私が働いて得たものだわ……〉

 吉永が、山の手ながら貧しさを味わったことも、彼女が女優として成長することに大きく役立ったと思う。もし山の手のお嬢さんとしてヌクヌク育っていたら、彼女に深みを与えなかったであろう。彼女は、自分が一家を支えなくては……という強い自立心を養い、また彼女自身の意志を強くした。それでいて、どん底の貧しさにあえいだわけでもないところが、彼女の品の良さ、清純さを保たせた。

 その清純な吉永が、意外な貌を見せファンを驚かせたのが、『天国の駅』の死刑囚・林葉かよ役である。オナニーシーンもある。嫉妬に狂う夫を毒殺する。津川雅彦演じる大和閣の主人も刺し殺す。よく吉永がこの役を演じることに踏み切ったなと驚きながら、私はつい画面に魅入られ、見終わって、吉永の艶かしさにただただ圧倒された。

〈こういうナマナマしい色気が潜んでいたのだ〉

 吉永は、『天国の駅』について、私に語った。

「若いあの年だからこそできたもので、年を重ねるとできないでしょうね」

 私は個人的に、悪女で凄艶な吉永作品をもう4、5本見てみたかった。成瀬巳喜男監督の『浮雲』で、高峰秀子演じる清純だったゆき子は、森雅之演じる自堕落な男に惚れぬき、しだいに堕ちてゆく。吉永に、そんなどうしようもなく堕ちていくせつない一面も演じてもらいたかった。我々ファンの欲というものか。

 吉永はその後、善意の高潔な女性を演じることが多くなった。そのことにより、「サユリスト」は、吉永を愛し続けることができた。着実なファン層である。

「サユリスト」の男性に加え、吉永には女性ファンも多い。女性に拒否反応を起こさせる美人女優もいるが、吉永は男女共に愛される。「吉永小百合のように麗しく年を重ねていきたい」という女性が多いのだ。そういう男女双方のファンに支えられて、主役でありつづけることができた。

 現在までに119本も出演し続けられたその陰には、吉永がストイックなほどに健康、体型に気を遣っていることもある。『動乱』の撮影中、吉永は、高倉健に訊いている。

「腹筋は、一日に何回くらいしたらいいんでしょうか」

 高倉は答えた。

「現状維持には、一日100回ですね」

 吉永は、それ以来、一日100回の腹筋を目指し、現在も続けている。平成元年ごろから水泳も続けている。

 彼女は、平然と言う。

「役者なら、体型を保つのもあたりまえでしょう」

 最近吉永に取材で会い、あらためて彼女の顔を見て感動した。ほとんどスッピンに近かったが、とうてい古希とは信じられぬ美しさであった。舞台なら誤魔化せるが、映画女優一筋を貫くには、アップに耐えられる肌を保っていなくてはならない。

 主演映画が現在に至るまで続くのは、彼女にプロデュース能力があるからだろう。『時雨の記』は彼女自身の企画で、『ふしぎな岬の物語』ではプロデューサーもつとめている。

 彼女は、高倉健のように主役を張り続けるだろう。

 同時に、彼女は言う。

「私も俳優として、そして表現者として、戦争の悲惨さについて語り続けていきたい。次の世代に残していきたい」

 彼女は今年、日本文学振興会主催の菊池寛賞を受賞した。長年にわたる「映画女優」としての活躍に加え、広島・長崎の原爆詩の朗読会を30年続け、また東日本大震災についても被災者の詩を朗読して復興支援に尽力したことによる。彼女にふさわしい賞で、喜ばしいことと思っている。