秋広の特徴を表す指標がある。昨年放った111安打のうち、中堅から逆方向の打球が29本で28.7%を占めている。チームメートで本塁打王を3度獲得している岡本和真は昨年140安打のうち、逆方向の打球は15本で15.2%。この数字について、セ・リーグのスコアラーはこう分析する。
「広角に安打を飛ばす打者は難しい球に反応してヒットゾーンに飛ばす。当てる技術が高いので逆方向にも安打を飛ばせるのですが、ホームランを量産するタイプではない。過去の強打者でいうと、横浜の安打製造機として首位打者に2度輝いた鈴木尚典さんが当てはまります。内角打ちの打撃技術は超一級品で外角に落ちる難しい球もヒットにしていましたが、長打を狙う打撃フォームにモデルチェンジしてしなやかさが失われてしまった。打撃は繊細です。秋広も自分が輝ける打撃スタイルを見いだせないと、伸び悩んでしまう危険性がある」
大田は移籍で重圧から解き放たれた
「松井秀喜2世」として将来を嘱望された選手は過去にもいた。東海大相模からドラフト1位で入団し、背番号55を継承した大田泰示(現DeNA)だ。スピードとパワーを兼ね備えたスケールの大きいプレースタイルで、将来の巨人を背負うスター選手として注目されたが、1軍に定着できず月日が流れていった。打撃フォームが頻繁に変わり、どうにかしたい思いはひしひしと感じたが、結果が出ない。
大きな転機は16年オフの日本ハムへのトレードだった。栗山英樹元監督に見いだされて1年目から外野の定位置をつかむと、19年に打率.289、20本塁打、77打点といずれも自己最高の数字をマーク。外野の守備でも強肩と球際の強さで幾度もチームを救い、20年にゴールデングラブ賞を初受賞した。
大田を取材した当時のスポーツ紙記者はこう振り返る。
「才能を開花させた要因は精神的な部分も大きかったと思います。巨人ではファームで出場すると、心無いヤジが飛んでいた。松井さんのような活躍を求められても、バッターとしての個性が違う。日本ハムに移籍して重圧から解き放たれ、プレーに躍動感を取り戻した。巨人でプレーしていた時と表情が全然違って、自信を取り戻したように感じました」