個室テントが設置された台湾東部の花蓮市の避難所

 能登半島地震の発生から4カ月が過ぎたが、今も避難所での生活を強いられている人がいる。避難所の中には、環境が整備されていないところもある。AERA 2024年5月20日号より。

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 4カ月が過ぎた能登半島地震の被災地では、仮設住宅に移るなど新たな生活を始めた人がいる一方で、今も避難所暮らしを余儀なくされている人がいる。石川県によると、発災直後に開設される1次避難所で避難生活を続ける人は、4月30日時点で2420人にのぼる。1次避難所は学校の体育館や公共施設などに開設されることが多く、発災直後は身を守るための退避場所として機能する。それだけでなく、長ければ数カ月にわたる生活の場にもなるのだ。東日本大震災の際は、原発避難者という特殊なケースだが震災から2年半以上たった2013年12月まで1次避難所に残る人がいた。16年の地震では7カ月、18年の西日本豪雨では5カ月を避難所閉鎖までに要している。

絶えない災害関連死

 ただ、数カ月続く暮らしの場としてふさわしい環境が整備されないケースも少なくない。プライバシーのない雑魚寝での生活、栄養バランスの悪い食事、不衛生な環境で体調を崩す人が後を絶たない。災害に起因した体調悪化などで亡くなる災害関連死も問題になってきた。

 今回の能登半島地震でも、今も十分な衣食住の環境が整っていない避難所がある。珠洲市で活動する災害支援団体「災害救援レスキューアシスト」代表の中島武志さんは、滞在交流施設につくられたある自主避難所の現状をこう説明する。

「当初120人ほどがすし詰めになっていた避難者は30人ほどに減りました。ただ、全員が部屋に入ることはできず、今も廊下で寝ている人がいます。食事は炊き出しが頼りでしたが、3月で自衛隊の炊き出しが終わり、民間団体の支援もかなり細っています。今は夕食は市から弁当が届けられ、朝・昼は避難者のなかで担当を決めて調理することになっていますが、料理が得意だった避難者が避難所を出るなどしたために十分な調理ができなかったり、食材がうまく調達できなかったりして、カップラーメンを配るだけという日も多い。因果関係ははっきりしませんが、避難生活の中で認知症が悪化したり、体調を崩したりしている人もいます。この地区の仮設住宅が完成するのは6月中旬の見込みで、あと1カ月は避難生活が続きそう。さらなる体調悪化を懸念しています」

(編集部・川口穣)

AERA 2024年5月20日号より抜粋

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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