アメ横では最大級のホルモン専門店(撮影/上田耕司

 ビルの1階から3階までが店舗で、アメ横最大級のホルモン専門店だった。ただ、店は閉まっており、「ランチタイム ウーロン茶1杯サービス ライスお替り自由」の貼り紙がなんとも虚しく見えた。

 宝島さんは、この「焼肉ホルモン番長」から店を増やし、大きくしていった。 

「この辺りの飲食店は1軒だけではそれほど儲からない。仮に1店舗で月50万円以上儲けがでるなら、4店舗、6店舗あれば200万~300万円以上になるじゃないですか。ドンさんはコロナ禍のときも24時間営業していましたよ。他店がみんな閉まっているので客が集まった。給付金もらうよりも、逆に儲かったようです」 

 飲食店が潰れ、テナントに空きが出ると、宝島さんがそこに出店し、店舗を拡大したという。

バイトから始まった関根容疑者

「商売がうまかった。最初は『焼肉ホルモン番長』だけだったのに、一気に5店舗、6店舗となって現在の状態になっている。『宝島ロード』と呼ばれるくらい、ドンさんの物件だらけのストリートができた。一生懸命やっていた。夫妻で命懸けでがんばっていた」

 宝島さんの経営する「サンエイ商事」のホームページでは、上野のアメ横周辺で経営する14店舗が紹介されている。それ以外にも店舗があり、3店舗程度を関根容疑者が任されていたという。

 韓国人経営者がこう続ける。

「うちの店が終わってから1時半ごろに『宝島ロード』を通ると、ドンさん夫妻はいつもイタリアンの店の辺りにいました。関根容疑者と長女がよく働いていた店です。店のテーブルに座ってビールを飲んでいました。関根容疑者は夜中でもサングラスをして、ジャージーとかカジュアルな服を着てよく歩いていました。刺青もあちこちにしていて“チンピラ”みたいな雰囲気でしたよ」

 台東区出身の関根容疑者は最初、アルバイトとして宝島さんの店で働き始めた。夫妻の長女とは学生時代からの知り合いで、2人は内縁関係になったという。その後、関根容疑者はマネジャーとなり、店舗拡大に協力していった。

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店舗拡大でトラブルも増え