実はV3を達成した前年も、規定打席到達者中3割打者はゼロで、チーム打率もリーグ5位の.257と重量打線に陰りが見えはじめていた。
翌15年はチーム内の“投高打低”が一層強まる。阿部慎之助、村田修一らの中心打者が故障などで打撃不振に陥り、規定打席到達者も坂本勇人(.269)、長野久義(.251)の2人だけという寂しい結果に。それでも同年は、ヤクルトに1.5ゲーム差の2位。打線がもっと投手陣を援護していれば、V4も可能だったかもしれない。
その後、4年間優勝から遠ざかった巨人は、第3次原政権で丸佳浩をFA補強するなど打線を強化し、19、20年とリーグ連覇を達成したが、21年から2年連続V逸。22年はチーム打率もリーグワーストの.242に沈んだ。
こうして振り返ってみると、巨人の貧打がクローズアップされた年は、概ね黄金時代や連覇の直後で一致している。14年の3連覇達成時に原監督が「勝ちつづけるということは、同時進行で衰退しつづけるということ」と語ったように、改めて常勝チームを維持しつづけることの難しさを痛感させられる。(文・久保田龍雄)
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。