シンガー・ソングライター、宮沢和史。今春、音楽生活35周年を迎え、4月24日にはアルバム「~35~」を発売。「島唄」や「風になりたい」は名曲となった。音楽を作るために、沖縄民謡をはじめ、ラテン音楽などを自身にしみこませるように、世界中を旅して学んできた。沖縄出身でないのに、「島唄」を歌っていいのか。その葛藤を抱えてきた。けれども、平和な沖縄への祈りを込め歌い続ける。
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名古屋市の中心部から地下鉄で数駅東に行ったところにある繁華街、今池。繁華街といっても、華やかさよりもどこかほの暗い空気感が漂う。その町の一角にあるライブハウス「TOKUZO」で、宮沢和史(みやざわかずふみ・58)はアコースティックギターと三線(さんしん)だけで、デビュー以来作詞・作曲した20曲あまりの歌を披露した。サポートをするのはピアノ・コーラスの白川ミナだけ。ブラジルでは誰もが知る歌も、ポルトガル語で歌いあげた。
宮沢は今春、音楽生活35周年を記念して「~35~」と題したアルバムを出し、同時期に東京と大阪の公園の音楽堂でコンサートを開く。その「前夜祭」と称して全国11カ所の小規模ホールやライブハウスを回る「春が来たら旅に出よう 風の歌を届けに行こう」ツアーを、このライブハウスからスタートさせた。
「箱」を満員にしたのは約100人。大半が女性で、何人かに尋ねると1989年にデビューした「THE BOOM」初期からのファンばかり。宮沢はライブの中盤、「皆さん、お尻が痛いでしょう。立ち上がってほぐしてください」と往年のファンを笑顔で気遣った。曲のラインナップとMCからは宮沢の長い旅の報告を受けたようだった。