このころ、沖縄と同じように宮沢の心を占めていたのが、ブラジル音楽だった。94年に宮沢は初めてリオ・デ・ジャネイロを訪れ、その文化と躍動感に圧倒される。同年に作った6枚目のアルバム「極東サンバ」は、ブラジルサウンドを取り入れたものとなり、「風になりたい」もこのアルバムに収録された。
ブラジルにのめりこんだ宮沢は、98年にすべてポルトガル語で収録したソロアルバム「AFROSICK」をリリース。それがブラジルで話題となった。ブラジルをはじめ、中南米やヨーロッパでツアーを行う。そのときに一緒に世界をまわった、国籍も音楽のバックグラウンドも違うメンバーと「GANGA ZUMBA」というバンドも結成した。
宮沢は沖縄にも向き合い続けた。「『島唄』の真意が浸透してきているな」と感じ始めた2012年、「今なら始められるかもしれない」と、以前から心に決めていた沖縄民謡をアーカイブ化する「唄方プロジェクト」に取り掛かる。大好きな沖縄民謡を次世代に伝えたいという思いだった。唄い手をスタジオに招き、時にこちらから訪ね、1人1曲、後世に残したい民謡を歌ってもらう。4年をかけて245曲を収録。沖縄民謡界の重鎮は弟子全員に声をかけてくれた。4人ほど断られたが、理由は高齢ゆえに今は歌っていないから、とか、手術したばかりというものだった。あからさまに断ってきた人は皆無だった。
沖縄発の雑誌で、宮沢も連載を持っていた「モモト」の元編集長のいのうえちず(55)は「唄方プロジェクト」に驚きを隠さない。
「プレスやパッケージの費用は寄付等で集め、沖縄や東京でおこなわれたレコーディング費用は私費でまかなったことに心底、感動しました。唄者をたずね歩くなんて、後にも先にもあんな事業は宮沢さん以外できないと思う。本気で沖縄を愛しているんだなと」
無事、17枚組のCDボックスは完成し、解説書付きで県内の学校や図書館などに寄贈された。