集まった人たちの手にはイランの国旗の他、最高指導者ハメネイや米軍に暗殺されたイスラム革命防衛隊の司令官、ガセム・ソレイマニの肖像画を持っている。

 旧米国大使館の前に演台が設けられていて、青地に赤と白抜きの文字で「米国に死を」という意味の3つの単語が英語とペルシャ語で書かれている。私が構えた200ミリの望遠レンズに、演台に近づくライシの姿が映り込んだ。ライシはマイクを前に話しはじめると、米国を批判するところで一気に感情を高ぶらせ、縁なしメガネの奥の目を見開いた。

 「米国による犯罪リストの一部を挙げてみよう」と切り出し、続けた。         

 「米国は世界で300以上の戦争に参加し、62カ国に対するクーデターを仕掛けた。ヒロシマとナガサキに対する原爆の投下という犯罪は唯一、米国が実行したことだ」  

 ライシの甲高い声を遮るように、興奮した群衆は何度も「米国に死を!」とリズムに合わせて声を上げた。原爆投下の他に挙げた事例は具体的に何を指しているのか、私にはよく分からなかった。米国がひどいことをしているという印象を植え付ける狙いだったのだろう。

 一方で、イランには米国によるクーデターを起こされた過去が確かにあり、いまでも米国に抱く不信を象徴する事件として受け止められている。

 きっかけは、石油をめぐる問題だった。

 歴史的にイラン(当時の国名はペルシャ)は1856〜57年の戦争で英国に敗れたあと、南部を中心に占領され、しばらくの間、英国の強い支配下に置かれていた。1908年5月にイランで初めて大規模な油田が発見された際も、採掘や石油の販売といった利権を英国に握られた。

 1951年4月に国会議員から首相となったモハンマド・モサデグが主導し、英国から利権を取り戻す目的で石油産業の国有化を決めた。これに対して英国は猛反発し、さらに、米国も対応に乗り出した。米国は、英国とモサデグ政権の間で高まる緊張を放置できない危険な状態だと受け止めたのだ。また、米国はソ連の封じ込めを図っていて、モサデグ政権に近づく共産主義勢力を警戒していた。

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