米国大使館人質事件の記念式典
第8代大統領に就任したエブラヒム・ライシは米国と敵対する姿勢を貫くようになった。そして、2022年11月の演説でライシは、「反米」発言を繰り返した。演説があった場所はテヘラン中心部にいまも残る旧米国大使館の建物前で、43年前に起きた事件の記念式典の場だった。
ここで、歴史的な出来事となる事件について簡単に触れておきたい。
イランで革命が成立した1979年2月。その10月、すでに国外に逃れていたパーレビ国王を米国が受け入れた。イラン側は国王の引き渡しを求めたが、米国は応じなかった。そこで、疑念が生じる。
米国は再び国王を担ぎ上げ、革命をひっくり返すのではないか—。
そして、11月4日、革命を主導したイスラム法学者ルーホッラー・ホメイニに忠誠を誓う約500人の学生たちが米国大使館に侵入して、「スパイ」と見なした米国の外交官ら52人を人質に取ったのだ。翌1980年4月、米国とイランは断交。人質が解放されたのは、事件から444日後の1981年1月だった。
旧大使館の建物は薄いクリーム色の壁と茶色のレンガ造りで、いまでも当時のままのように見えた。しかし、内部は「米国スパイの巣窟博物館」に変わっていて、米国がイランで活動していた「痕跡」が見られ、展示物にはデジタルデータの暗号化や解読に使われた機械をはじめ、「機密」と書かれた文書がある。
敷地を囲う壁一面には、米国を揶揄する絵が何枚も描かれていた。「自由の女神像」のイラストは「女神」の顔が骸骨で、突き上げた右腕はもがれている。米国の評判を落とそうとする狙いが見えてくるようだった。
「米国に死を!」
米国大使館人質事件の記念式典が行われた2022年11月4日。午前10時すぎ、大使館の前を通る四車線の直線道路に参加者が続々と集まりはじめ、1時間もすると数千人規模に膨らんだ。私は、記者やカメラマンが使う高さ3メートルのやぐらの上に立って群衆を見渡した。男性はひげを生やし、黒っぽい服装をしている人たちが多い。女性は黒のヒジャブやチャドルで髪の毛や全身を隠している。