ホテルの前は神戸港インバウンド客が続々とやってくる。異人館など国際色が豊かな町だけに、活性化の策はあると、心の内で動き出した(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2024年4月22日号では、前号に引き続きホテルオークラ・荻田敏宏社長が登場し、「源流」である神戸の港町やホテルオークラを訪れた。

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 入社して11年目の1998年2月、開業以来10年も赤字が続いていた子会社のホテルオークラ神戸の再建策を、託された。33歳。米国の大学院へ留学し、ホテル経営や財務・会計を学んで修了していたとはいえ、まだ事業部の平社員だ。

 東京の親会社に、ホテル経営のノウハウは蓄積されている。でも、言うまでもなく、ホテルは一つずつ、それぞれの立地条件によって、どこに力を入れるべきかが違う。「現場」へいって現場の声に触れなくては、的確な再建案はつくれない。自分を指名した上司と2人で神戸市へ2度、計8週間やってきた。

窓もない会議室で課題と改革点などを管理職全員に聴いた

 間口2メートル、奥行き4メートル。神戸港に面したホテルの管理部にある、窓もない小さな会議室が、その間に最も長く過ごした場所だ。そこで、約30部門の管理職約50人全員から連日、現状と課題、改革すべき点などを聴き取った。夜は、眺望の利かない低層階の空き室に泊まり、聴き取った内容を整理して、再建案の骨子をつくっていく。経営陣が一新されるまで2カ月、突貫作業だった。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 ことし1月、神戸の港町とホテルオークラを、連載の企画で一緒に訪ねた。荻田敏宏さんがビジネスパーソンとしての『源流』となったとする小部屋は、当時のままだった。フロントから従業員用の通路や階段をたどると、管理部の左奥に「忘れるはずもない」と言い切る小さな会議室がある。ここに、上司の五島重彰・事業部長と朝8時から日暮れまで籠り、全部門の責任者から聴き取りを重ねた。

 米国留学から戻って配属された事業部の調査課で、グループホテルの経営支援などを担当したが、ホテルの全部門の役割やコストまで知り尽くすことはない。でも、神戸で個別の事情もすべて聴いた。ある部門にとって都合のいいことが、別の部門には不都合なことは、少なくない。それらをどうすれば、全体として得るものが多くなるか。「部分最適よりも全体最適を」という、経営の軸とすべき視点を、学んだ。

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