あのころ、五島さんが「よく眠れない」と言ったことを、思い出す。オークラ神戸の社長以下、役員を辞めてもらう面々は総務人事畑の出身が多かった。五島さんも、もともと総務人事畑で、よく知っている先輩たちだ。その人たちに「退任して下さい」と言うのが、睡眠を奪うほど重かったのだろう。「役割分担」だな、と頷く。

 1964年10月に東京都中野区で生まれ、父は建設会社勤めで、母と兄2人に祖父がいた6人家族。近所の幼稚園にいたとき、兄2人が通っていた千代田区の私立暁星学園に幼稚園ができて、転園した。暁星はサッカーが「校技」で、足が速く、小学校の5、6年生で選抜チームに選ばれた。「役割分担」の大切さは、このサッカーのプレーで、身に染み込んでいる。

『源流Again』で神戸へいった後、暁星学園も再訪した。幼稚園のときは母が送り迎えしてくれたが、小学校からは1人で、電車で最寄りの地下鉄・九段下駅へ通う。兄たちよりも早く家を出て、授業が始まる前に校庭で運動をした。久しぶりに小学校へきたら、児童たちが体育の授業でリレーをしている。当時の自分の姿が、重なった。

 93年にオークラ神戸の改革に区切りがついたとき、大学院へ戻って博士課程へいこうか、と考えた。以前から「それも選択肢」と思っていた。入る専門課程も、書こうと思う論文のテーマも、決めていた。でも、五島さんに出会い、オークラ東京の改革からグループ全体の経営の見直しへと引っ張り込まれ、その選択肢は消える。神戸へくると、そんなことも、浮かんでくる。五島さんは、残念ながら2022年11月に亡くなった。

 神戸の業績は、改革で少し上がったが、その後で再び厳しい状況を迎え、リーマンショックやコロナ禍の打撃も受けた。館内をみて「もう一度、神戸に何かしら関与して、よりいい会社にできればな」と思う。他のグループのホテルとともに、どういう需要を想定し、どうやったら施設の価値を上げられるか、内々に検討させている。

 グループ全体としては、脱・コロナ禍で経営はよくなった。でも、水面下の事業が残っていては、気分がすっきりしない。『源流』からの流れは、まだ勢いを強めそうだ。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年4月22日号

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