手を振る天皇、皇后両陛下と愛子さま。笑顔がまぶしい(撮影/写真映像部・松永卓也)

 先週に多く読まれた記事の「見逃し配信」です。ぜひ御覧ください。(この記事は、「AERA dot.」で2024年2月25日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のまま)

【写真】お手振りをする天皇、皇后両陛下を前に自然と傘を閉じた参賀者たち

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 天皇陛下が64歳の誕生日を迎えた2024年2月23日、生まれて初めて一般参賀に行ってきた。午前中に3回ある参賀の初回、陛下に向かって正面やや左寄り、前から3列目という場所から祝った。不謹慎な例えと承知しつつ説明するなら、間違いなくSS席だった。そこから陛下、皇后雅子さまと長女愛子さま秋篠宮ご夫妻と次女佳子さまを見た。あれこれと思ったことを書いていく。

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 まずSS席にたどり着くまでの道のりだ。宮内庁ホームページ(HP)で「参賀者は午前9時半から皇居正門(二重橋)から入る、お出ましは午前10時20分頃から3回」と把握、1回目に参賀するにはとにかく早く行こうと決意した。23年の「落選」があったからだ。

 新型コロナウイルスの5類移行前だった昨年の天皇誕生日、参賀は事前申し込み制だった。申し込んだ。2月1日に宮内庁から<【抽選結果】令和5年の天皇誕生日一般参賀の宮殿東庭における参賀について>という長い件名のメールが来て、開けたら「落選」だった。6万1031人が応募、4826人が当選、倍率は12・6倍だったそうだ。

 24年1月2日の新年一般参賀は、前日に起きた能登半島地震に鑑み中止になっている。その分の参賀希望者増も予想される。宮内庁HPには「午前中に来ても大勢だったら午後の記帳に回ってもらう」旨が書かれていた。それは避けたい。というわけで、午前7時45分に到着したが、すでに長い列ができていた。

周囲の人が自然に傘を閉じていた

 雨が降る寒い日だったが、どんどん人が並ぶ。30分ほどすると、「昨日からお待ちの方から、荷物を確認していきます」というアナウンス。昨日? 私、出遅れている? 不安を覚えつつ荷物&身体検査を経て、二重橋前へ。私が並んだ列の先頭には「早朝者②」と書かれたプラカードを持った警官がいた。早朝組の2番目。早く来た甲斐があったとほっとする。

 9時を過ぎ、列が動き出す。一般人が渡れるのは参賀の時だけという二重橋を渡ったのが9時半過ぎ、そこからは自由に歩く感じになり、宮殿東庭に到着したのは9時45分。流れのままに進んだところ、前から3列目に。そんな感じだった。

 到着してすぐ、不思議なことに気づいた。周囲の人がみな、自然に傘を閉じていたのだ。ここに来るまでに何カ所か「DJポリス」がいたし、東庭では宮内庁から注意事項がアナウンスされた。が、傘を閉じるようにとは全く言われていない。気づいたらみなが傘を閉じていた。フードなどを被っている人も多かったが、何も被らず雨に濡れている人もいた。前後左右を見渡し、傘をさしていたのは最前列に1人、10列目あたりに1人だけだった。

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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