阪神・森田一成(写真提供・阪神タイガース)
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 プロ初打席で初本塁打の快挙を達成した選手といえば、通算261本塁打の稲葉篤紀(ヤクルト-日本ハム)、通算236本塁打の高木守道(中日)、そして、プロ初打席で満塁弾を放った通算195本塁打の駒田徳広(巨人-横浜)らの名前が挙がる。その一方で、プロ初打席アーチが最初で最後の本塁打になった選手も存在する。

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 高校時代に甲子園で大会最多本塁打の記録を更新し、プロ初打席でも本塁打を記録したのが、広島・阿部慶二だ。

 PL学園時代の1979年センバツでは、2回戦の宇都宮商戦で、8回に同点2ランを放ったあと、6対6の延長10回に2打席連続となるサヨナラ2ラン。さらに準々決勝の尼崎北戦でも8回に2試合連続の大会3号3ランを右翼ラッキーゾーンに運び、早稲田実時代の王貞治らの大会最多本塁打記録を塗り替えた。通算3本塁打は、今でもPLの後輩・清原和博、星稜時代の松井秀喜らと並ぶ大会記録だ。

 高校卒業後、社会人のヤマハ発動機でプレーを続けた阿部は、83年夏に野球部が休部になると、広島のテストを受け、ドラフト6位で入団した。

 翌84年、8月5日に1軍昇格した阿部は、同8日の巨人戦、3対5の6回2死、代打としてプロ初打席に立つと、「前日1イニング(二塁)守備についたので、打席であがることはなかった」と、気負うことなく槙原寛己の速球を一振。打球は右中間席に飛び込むプロ1号になった。

 この一発で1点差に追い上げたチームは、7回に逆転。プロ18人目(当時)の初打席初本塁打が勝利を呼んだ。

 だが、高校、プロのいずれも本塁打でアピールした“持っている男”も、同年はこの一発のみの5打数1安打に終わり、通算1本塁打のまま、88年限りで現役を引退した。

 大学時代は4番を打った強打者ながら、投手としてテスト入団という異色の経歴を経て、プロ初打席で本塁打を記録したのが、広島・広池浩司だ。

 立教大時代は通算4本塁打を記録も、4年秋のドラフトで指名されなかったことから、一度は野球を断念し、全日空に就職した。

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投手の初打席初本塁打は何年ぶり?