育成契約から支配下再登録をかち取り、プロ初打席で同点弾を放ったのが、阪神・森田一成だ。
関西高時代に3度甲子園に出場し、高校通算25本塁打を記録した森田は、08年に高校生ドラフト3巡目で阪神入り。2年目に古傷の右肩の影響で「一番しんどかった」育成格下げも体験したが、「いつか這い上がってやる」と前向きな気持ちを持ちつづけた。そんな試練の時期に、左足太もも肉離れで2軍落ちしていたブラゼルに指導を受けたことが、飛躍のきっかけとなる。
10年7月に支配下再登録後、吉竹春樹2軍監督の指導で2軍の4番を打つまでに成長。そして、1軍初昇格当日の11年7月26日の中日戦、1対3の5回に能見篤史の代打としてプロ初打席に立った森田は、1ストライクからネルソンの2球目、147キロの外角直球を左翼席に起死回生の同点2ラン。「いい感じで打てたので、“入ってくれ”と思ってました。最高です」と喜びを爆発させた。プロ初打席弾は球団史上初の快挙でもあった。
だが、“小ブラゼル”の異名をとった和製大砲も、これが最初で最後の本塁打となり、14年限りで現役を終えている。(文・久保田龍雄)