――映画化を承諾するのは大きな決断だったと思います。
そうですね……。「懸賞生活」をしている時は自殺を考えるほど精神的に追い込まれたし、企画が終わった後も対人恐怖症になったり、精神的なストレスを抱えていたりした時期もありました。10年後に「懸賞生活をもう一回やろう」とオファーが来ましたが、「ニ度とやりません。1億円積まれても、10億円積まれてもやりません」と断りました。それぐらいつらかった。映画化の話は10年前にイギリス人のクレアさんという女性監督から来たんですが、その後に音沙汰がない時期があって。2018年ごろですかね。4度目の挑戦でエベレストに登頂した後で、東日本大震災で大きな被害を受けた故郷・福島の復興作業をポジティブに取り上げてもらいたいという思いもありました。懸賞生活だけでなく、その後の活動も取り上げていただけるということだったので、「できることは協力します」と伝えました。
恐怖の対象でした
――なすびさんやご家族、友人だけでなく、電波少年で当時のプロデューサーだった土屋敏男さんが映画に出演されたことは驚きでした。
僕は懸賞生活のトラウマがあったので、土屋さんは恐怖の対象でした。日テレでたまにお会いする時があったけど、緊張して言葉が出ない。10年後に再び懸賞生活でオファーが来た時に、「土屋さんにあの時のつらかった思いを理解してもらうのは無理なんだな」と感じました。関係を修復できないと思ったのですが、一つの転機があって。2013年ごろにお会いした時、土屋さんが「あの懸賞生活をやっていた時は若手芸人にむちゃなことをさせていた。本当に申し訳ない。迷惑を掛けた当時の芸人たちに贖罪の意識を持って対応しないといけないと思っている」と謝ってきたんです。