といっても、ここまではマルチバースの体積が「無限」なのか、「ほぼ無限」なのかによる違いはあまりない。重要なのは、我々のユニバースの体積はあくまで有限だという事実である。
有限体積のユニバースは有限個数の素粒子からなっている。その意味において、このユニバースは有限個の自由度で記述し尽くせるように思われる。
その場合、我々のユニバースを含むマルチバースが真に無限の体積(ほぼ無限ではなく)を持ち、その中で陽子が完全にランダムに配置されているならば、遠く離れたどこかに有限体積の我々のユニバースと全く同一の配列を持つ別の有限体積のユニバースが存在(しかも無限個)するはずだ。
自分のコピーがどこかに存在する?
次の疑問は、そのコピーはどこまで我々のユニバースと同じなのか、あるいは物質配置は同じであろうと異なる性質を持ちうるのか、である。陽子の配置が完全に同一であるということは、まさにこの瞬間の宇宙内の全天体の分布はおろか、太陽系、地球、日本、読者の皆さん、微生物に至るまで、ありとあらゆるものの物質分布が完全に一致していることに他ならない。ただそっくりというだけでなく、物質配置という観点からは完全に同一なのだ。
さて、それでは、私の脳細胞から神経の細部に至るまで全く同じコピーが存在するとして、その私のコピーは私自身が持つ考え方や記憶までをも共有しているのだろうか。