この問いに自信を持って答えることは困難だ。心が完全に物質に帰着できるのかという大問題に対して、現在の科学は未だ自信を持って答えることはできない。
しかし、大多数の科学者は、完全に物質配置が同じ私のコピーはこの私自身と区別できないという(人によっては不愉快にも思える)結論に同意するのではあるまいか。
つまるところ、この私の意識はなんらかの形で、脳や神経系など、私を構成する全物質のネットワーク内に閉じているはずなのだから。
意識がどこに宿っていると特定することはできないにせよ、この私を構成する物質の外に宿っているはずはない。とすれば、全物質の配置が完全に同一の「別のユニバース」と「このユニバース」とは、そのユニバースに存在しているであろう知的生命の意識や記憶まで含めて、原理的に区別できないことになる。
ただし、ここまでの議論は、有限個の粒子からなる系は有限の自由度しか持ちえないという前提から導かれていることは強調しておくべきだ。いわば、粒子の状態あるいは情報はデジタル化(例えば0と1だけの世界)されており、その取りうる範囲が決まっているという仮定だ。
仮にこのユニバースを構成する粒子がどこかにアナログ的情報を持っているならば、上述の意味で全物質の配置が同一の別のユニバースが存在したとしても、このユニバースと完全に同じ特徴を持つとは限らない。
というわけで、これまた考え始めると頭が痛くなるのである。