音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める(撮影/写真部・松永卓也)
音楽家・坂本龍一さん/1952年、東京都生まれ。映画「母と暮せば」(山田洋次監督)の音楽担当。東北ユースオーケストラの代表理事・監督も務める(撮影/写真部・松永卓也)

○インディーズの元祖

 今年は、そのYMOの結成から25年。“解散”ならぬ散開をしてから20年。この8月6日に出た『UCYMO』は、坂本龍一がリマスタリングした2枚組ベスト。通常版は5万枚売れ、シャツとバンダナがついた2万円の特別版もすぐに1万5000セットを完売した。だが、坂本さんの視線は、けっして懐古に彩られてはいない。

「こういう機会でもないとYMOを聴くなんてことはないし、家で25年前のYMOを一人で聴いてたら結構、怖いよね(笑い)。ただ、YMOを聴いて音楽を始めた世代が30代になっていて、さらに彼らに影響を受けた若い音楽家たちがいて。単なる懐メロではなくて、YMOがまいた種が、いまも育っている。ハタチくらいの音楽をやっている子たちと、僕はいま音楽でコミュニケートできる」

 いまでこそ、YMOの3人はそれぞれ「巨匠」だが、結成当初は違った。細野晴臣氏は知る人ぞ知るポップスの伝道師に過ぎなかったし、高橋幸宏氏はサディスティックスというバンドの一員。坂本さんはスタジオミュージシャンだった。現在では「インディーズ出身」のメガバンドは珍しくないが、YMOは25年も前に正真正銘、インディーズの元祖だったのだ。

「やっぱり印象に残っているのは初期の楽曲かな。『東風』とか『中国女』ですね。録音機材もいまとは全然違うし、YMOも録音の方法論を試行錯誤してた段階だから、ちょっといま作れないような音になってますね。アナログ録音ですし、音色というか、質感が独特のもので難しい」

○東洋人による新世界

『テクノポリス』『ライディーン』に代表される初期の“ピコピコ”テクノポップから、3人が独自の音楽性を追求し、結果として歪みの美学とでもいうべき世界観を提示した中期の作品、そして『君に、胸キュン。』でいきなり“いけないオジサン”の歌謡曲路線に転じての「散開」……その過激というか、カオスな足跡は、YMOが「面白いものは自分たちで作る」という生粋のインディーズ精神を持っていたことの証明だ。

「細野さんがよく言ってたのは、『イエローマジックとは善と悪の対極を統一するニュートラルなパワーで、東洋人こそがそうした新しい世界を創出できる』ということ。ブッシュのいうような、単純な善悪の二元論がこんなに世界を悪くしている現在こそ、大きな意味を持つ考えだよね。ただ、『日本には多神教の伝統がある』と言葉で言っても何も変わらない」

 多くの日本人は、明治と戦後の高度成長を「いい時代だった」と振り返る。しかし、それはいわば「一神教の時代」でもある。多神教的な価値観でなおかつ「いい時代」というモデルを、いまだに日本人は作ったことがないと坂本さんは指摘する。

「岡本太郎さんが縄文時代に新しい美を発見したように、僕らは音楽というメディアでは自由に表現できる。YMOの音楽にも、アニミズムの要素がある。『この曲は縄文みたいな感じ』とかいろいろ言っていいわけだし(笑い)。政治に期待できないなら、芸術とか文化で示すやり方もある」

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