暗がりでの形式に収まらない映像

 昨年の講評で、「昨今映像インスタレーションが推挙されはじめている。しかし『写真』 が人間にいかに関わっていくのかを確かめてみたい」という趣旨の文章を冒頭に書いた。1970 年代に荒っぽい「ヴィデオ・インスタレーション」を作った経験のある身としては、 今の時代にこそ「動く写真の必然」を考えなければならなかった。

 今年の選考会の席上、今森光彦さんが今の映像は「写真」として切り出せる高画質なものであることを話された。また、長島有里枝さん、澤田知子さんは金仁淑さんの縦モニターの 映像(「 Eye to Eye」)は「写真」として貴重なアプローチであることを力説された。それらについて異論はなかった。

「ヴィデオ・インスタレーション」という「暗がりでの形式」に収まらないその映像は、カメラを持ちゆっくり人の前に出ていく時の避けられない儀式のような、またそこから派生する心の声を聞こうとする過程そのものに立ち会っているような神々しい経験を感じさせ る。

 2004年頃、経緯は忘れたが私は金さんが大阪の朝鮮学校の生徒たちを撮った写真集 「sweet hours」を手に入れている。民族、家族、国籍など自身の原点を子どもたちに向けたまなざしで表現した素朴なものだった。

 さらに 2018 年に東京都写真美術館で開催された企画展「愛について アジアン・コンテンポラリー」では、在日コリアンコミュニティーの家族の肖像を静謐な大型写真として捉え た「サイエソ:はざまから」も拝見している。

 金さんは写真と映像を同時に用いる作家だが、ずっと「多様な個性を見つめる」というまっすぐな姿勢が貫かれている。「Eye to Eye」では日本に移住したブラジルの子どもたちの異なる背景や社会問題などを声高に訴えることよりも、そこにいるたくさんの個性に私たちを静かに出会わせ対峙させる。「Between Breads and Noodles」でも在独韓国人とその家族を率直に見つめている。それぞれ視線をそらすことなく、まるで相手のシャッターのような「まばたき」を自然に受け入れていく。輝いていこうとする人の意思と、共生という普遍的な考え方を確かめながら。

 金さんのこの時代と社会、人間に立ち会う活動にエールを送りたい。(写真家・大西みつぐ氏)

第48回木村伊兵衛写真賞二次選考会のようす(写真 和仁貢介/朝日新聞出版写真映像部)
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